定点観測地点の哲学者
11歳になった「哲学者」と散歩に行き、「定点観測地点」で1枚撮った。
ここを定点観測地点にするというのはセオリーに反していると承知している。その理由は、2つある遊具が木製で何年か経つと朽ち果てることが明らかだから。定点観測をするなら、もっと恒久的な景観が得られる場所を選ぶべきであろう。例えば東京タワーとか。
しかし逆に、脆弱な物がランドマークになっている場所だからこそ、定点観測にマッチしているという発想もある。例えば、これらの遊具が老朽化したら別の遊具に交換されるか、あるいはその場所には何も置かれなくなるだろう。それにより景観は変化するが、そのほうが世のうつろいを感じさせるではないか。
なんていうくだらない事を考えていたら、哲学者から「腹が減ったから帰ろう」と言われた。この大先生、哲学者のくせに、いやに世俗的なのだ。
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「哲学者」様にとっては定点観測なんてどうでもよくて、おいしいごはんが定点にあれば、それでいいんでしょうね。
私の定点観測は「煙突」ですが、本当は毎日やってこそなのかなとも思っています。
でも、そうするとそれに縛られるので、厭なのです。
あくまでも「気分」でやってるからこそ続いているんだと思います。
投稿: yann | 2008年5月28日 (水) 19時40分
yannさんこんにちは。
貴ブログの「字あまり」に返歌をしたためておきましたよ。そちらも趣味なので。
投稿: ジョヴァンニ | 2008年5月28日 (水) 21時57分