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2008年5月28日 (水)

バウハウス・デッサウ展

「バウハウス・デッサウ展2008」(東京藝術大学美術館)に行った。

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私は(クレーと)バウハウス命だから足が向くのは当然だ。そしてバウハウスのファンなら、なぜ好きなのかという野暮なことはお互いに聞かないで済ませることができる。しかし友人のなかにはバウハウスに魅力を感じないという人がいる。音楽仲間に相当の学識経験者でかつ美術にも造形が深いという人がいるが、彼はバウハウスを好まないという。

これは何故なのかと考えてみた。そしてあることを思い付いた。 バウハウスは学校だ。その展覧会だから、教材や教材のような作品が展示されている。また学生の作品も含まれている。これに比べて「普通の」展覧会は、例えば西洋の巨匠の傑作ばかり並べて見せてくれる。これらを比較すると、単に作品の完成度を尺度としたら一般の展覧会のほうが上になるのは当然だ。

またバウハウスの中心的アーティスト(クレー、カンディンスキーなど)の作品は、色塗りなどの仕上げがどこか雑だ。色調も渋くて暗い場合が多い。このような点も「アンチ・バウハウス」一派ができる原因かと思う。

でもしかし待てよ、クレーのあの知的構成と叙情の両立、カンディンスキーの静と動の抽象など、仕上げの綺麗さとは別次元の素晴らしさがあるではないか。だからクレー命、カンディンスキー命、バウハウス命になるのではないか。

ファン心理としては、このような考えでアンチ派に抵抗したくなる。 だけどムキになるのも子供っぽいな。子供といえば、「クレーの絵は子供が描いたみたいだから自分でも描ける」という人がいるが、とんでもない。あれほど描くのが難しい絵はないと思う。あの数学的に見えるが幾何学的図形から微妙にずれた線など、素人が手出しするレベルじゃないよね。

と、熱くなって肝心の展覧会の報告を何一つ書いてないことに気がついた。これはいけない。何か書いておこう。 私個人としては、なかなか観るチャンスがないオスカー・シュレンマーの作品をまとめてビデオで鑑賞できたのが良かった。以前「ミサワバウハウスコレクション」でバレエ作品の一部を観たが、今回の充実度には及ばなかった。

この展覧会を人に勧めるというのはどうか。バウハウス命の人なら言わなくても行くだろうし、アンチの人は行かないだろうし、その他無党派の人には何がいいか力説するのが疲れるし。結局バウハウスはバウハウス好き派で盛り上げるのが一番相応しいのではないか。

2008年5月25日 (日)

定点観測地点の哲学者

11歳になった「哲学者」と散歩に行き、「定点観測地点」で1枚撮った。

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ここを定点観測地点にするというのはセオリーに反していると承知している。その理由は、2つある遊具が木製で何年か経つと朽ち果てることが明らかだから。定点観測をするなら、もっと恒久的な景観が得られる場所を選ぶべきであろう。例えば東京タワーとか。

しかし逆に、脆弱な物がランドマークになっている場所だからこそ、定点観測にマッチしているという発想もある。例えば、これらの遊具が老朽化したら別の遊具に交換されるか、あるいはその場所には何も置かれなくなるだろう。それにより景観は変化するが、そのほうが世のうつろいを感じさせるではないか。

なんていうくだらない事を考えていたら、哲学者から「腹が減ったから帰ろう」と言われた。この大先生、哲学者のくせに、いやに世俗的なのだ。

国展・絵画部

「国展 第82回 美術の春」に行ってから2週間が経過した。

他の展覧会が割り込んだりしたので延び延びになっていたが、そろそろ絵画部の報告をまとめなければいけない。絵画部は膨大な作品がジャンル毎に分かれて展示されていて、絞り込むだけで大変だ。私の好みは構成感の強い抽象および具象、幻想絵画あるいは心象風景と明確なので、好みに合致した作品を分類して振り返ってみよう。(各ジャンル別に五十音順)

■抽象(強い構成感)
池谷むつ子  レクイエム
石井秀隣    兆3
太田穣     N40度への漂流
可世木博親 風と土と・・・08-Ⅰ
久保菜月    outflow-空、ゆるむ
斉田博     不条理B
鈴木節     クレーン★
高洲海亜子 暮色4
戸狩うた      かけら★
土橋佳子     押してみる★
永山信春     作品2008
中山智介    Untitled-08-K-1★
原田淑子     VIEW Ⅱ
深川昌子    群青の景Ⅱ
藤沢清子     水ぬるむ
本田紀子     A position
松永健吾     風化する心Ⅱ
宮木薫       日本的思考★
矢島宣子     うつろいⅠ
山田友子     ETCETERA

■抽象(構成感が希薄)
我妻正史     記憶08-2
井熊伯子     暁(あかつき)Ⅱ
貴堂静栄     BEYOND '08-Ⅰ
指原いく子   ガーネットにまつわる話
瀬尾昭夫     五月Ⅰ
姫野芳房     trigonia

■半抽象
石井豊太    風の影(08-B)
太田垣匡男 作品('80・春)
久保田裕    一の池ニの池三の池
竹下佳江    人の人・6+10・3・10
光田千代    meditation
室井慶子    アルセーヌルパンの故郷★
森川勝栄    胸懐0805

■具象 
植月正紀     樹'08-A
加藤秀雄     漁港のオブジェ★
菊池憲      幸せをもとめてⅡ★
澁谷利夫      四季の詩(大地の夕焼け)
常世隆     記憶の町・透
百瀬郷志     葡萄★
森芳仁    Japan Taste (1)
若林茂熙     無頓着な或る日

以上のなかで印象に残った作品(★印)にコメントを付けよう。

鈴木節「クレーン」:細かい抽象図形の重なり合いが小気味いい。

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戸狩うた「かけら」:会場でひときわ目を引いた作品。

土橋佳子「押してみる」:観ていて楽しい。色彩が面白い。

中山智介「Untitled-08-K-1」:最も好きになった作品。

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宮木薫「日本的思考」:黒地にのせた赤などの色が鮮やか。

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室井慶子「アルセーヌルパンの故郷」:理屈抜きに楽しい。

加藤秀雄「漁港のオブジェ」:なぜか気になる作品。

菊池憲「幸せをもとめてⅡ」:楽しくて童心に帰ることができる。

百瀬郷志「葡萄」:黒地に浮かぶ葡萄が鮮烈。

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2008年5月24日 (土)

猫軍団に占拠された給水塔

久々にゲージツ写真を撮ったぞ。

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澁澤龍彦 生誕80年回顧展

2008年5月24日(土)
「澁澤龍彦 生誕80年回顧展:ここちよいサロン」(県立神奈川近代文学館)に行った。

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澁澤の展覧会は2007年4月に「澁澤龍彦 幻想美術館」(埼玉県立近代美術館)、「澁澤龍彦 カマクラの日々」(鎌倉文学館)が立て続けに開催された。所蔵作品など美術作品の展示点数では「幻想美術館」が圧倒的で、「カマクラの日々」は自宅の臨場感が良かった。そして今回の企画は友人と交わした書簡などの資料が充実しており、それぞれ補完関係を保ち澁澤龍彦の全体像を味わうことができた。

これに先立ち、渋谷の松涛美術館で「中西夏之 新作展:絵画の鎖・光の森」を観てきたのだが、そこでは同じタイプの絵画・ドローイング作品しか展示されておらず、いまいち満足度が低かった。そのためこの澁澤の展覧会に中西作品3点に出会ったときは嬉しかった。

展示されていたのは次の作品だ。
「コンパクト・オブジェ」
過去に何度も目にしている。代表作に入るだろう。
「バラ色ダンス」招待状
開くと金粉が飛び散る仕掛けは異彩を放っている。
「吐息の相互交換 馬の吐息も」
  他愛のないアイデアだが面白い。
こうして並べて見ると、中西作品もバラエティーに富んでいることがわかる。今回の展覧会は澁澤関連以外の展覧会とも相互補完の関係があるのか。

澁澤が愛でた幻想味あふれる美術作品のなかで、アタナシウス・キルヒャーの「シナ図説」が絵葉書になっていた。こういうのはよい土産になるので嬉しい。こういう楽しい展覧会はいつでも歓迎です。

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中西夏之回顧展

2008年5月24日(土)
「中西夏之 新作展:絵画の鎖・光の森」(渋谷区立松涛美術館)に行った。

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「ハイ・レッド・センター」のメンバー中、高松次郎は特色ある影の絵が忘れられないし、赤瀬川源平は「トマソン」など路上観察で楽しませてくれている。しかしこの中西夏之だけはどうも印象が薄くぱっとしないのはなぜだろう?今回の展覧会はその疑問を解くヒントが得られるかと思ってでかけた。

そして展示作品を観た結果(ある程度予想していたが)、やはり面白いとは感じられなかった。誠に残念なことだが、その理由は何だろう?

私は中西の作品の背後にあるコンセプトが「難しすぎる」からではないかと考えた。会場には中西の言葉が掲示されている。それらは哲学的、衒学的で少々理屈っぽく響いている。読み解こうと思っても、さぁっと読んだだけでは届かず、吟味しながら読まないと意味を追えないのだ。これでは作品を楽しむ前に疲れてしまう。

これに対して赤瀬川はトマソンの写真を、それらしいタイトルと共に見せ「どうだい、面白いだろう?」とニコニコ笑っている、という印象なのだ。難しく考えることは何もない。ただ直感的に「面白い」と感じ取ればそれでその作品の存在価値が守られるのだ。高松も同様である。

このような差異により、中西作品が「置いてけぼり」になっていったのではないか。今回の松涛美術館の企画は、その中西作品に光を当て、再評価してゆこうという取り組みの意欲を感じさせて好感が持てた。ただ残念なことに、肝心の作品に対する興味・愛情がなかなか沸いてこないというのが多くの鑑賞者の感想ではないかと推測する。

実はこの展覧会の後、渋谷(始点)から東急線・みなとみらい線を経て終点まで行き、「澁澤龍彦回顧展」を観に行ったのだが、そこで中西作品に再会したのだ。その感想は別記事で。

2008年5月23日 (金)

サスキア・オルドウォーバース展

2008年5月22日(木)
「サスキア・オルドウォーバース展」(森美術館)を観た。

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案内の絵葉書からはあまり強い印象を受けなかったのだが、実際に短編映画2作を観賞して驚いた。なんと幻想的なことか。

奥の部屋で放映された作品は水中の映像が奇妙だ。構造物に混じって柔らかそうな物体が漂っている。海草のような有機物にも見えるが、無機物とも思える。生物の姿が無いにもかかわらず、生命の存在を意識させられる。

手前の部屋で放映された作品は病院の中らしいが、粘着性の強そうな液体が水平に飛んでいる。これはもちろん垂直に落下する映像を横倒しにしただけであろうが、たったそれだけのことで幻想的な風景が現出する。

これらの2作品が面白いので、つい見入ってしまった。これは友人にも観ることを勧めたい。今までにありそうで無かった映像表現なのではないか。

英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展

2008年5月22日(木)
「英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展」(森美術館)に行った。

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結論を言うと、併設の「サスキア・オルドウォーバース展」がダントツで面白かった。(これは別記事に独立させた)。残念ながらターナー賞受賞作品からは、あまり強い印象を受けなかった。

トマ・アブツの抽象画はその中でも私の趣味に合い、嬉しかった。いかにもありそうなタイプの冷たい抽象だが、不思議と暖かさを感じる。完全抽象なのに陰影が施されているので具象絵画の特質も併せ持つからであろうか。

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アブツについては数年前「美術手帖」の最新アーティスト特集で知っていた。作家がアルファベット順に紹介されているので、名前がAで始まるアブツは最初から2番目に置かれてページをめくるチャンスが多かったのだ。こんな偶然も好き嫌いに影響を及ぼすのかと思うと複雑な気持になる。

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センセーションを巻き起こしたデミアン・ハーストの「母と子、分断されて」(牛の親子が真っ二つにされた作品)は意外もさほどグロテスクに感じなかった。いやむしろ静寂すら感じ取れたほどだ。しかし逆にあまりインパクトが大きくなかったともいえる。

グレイソン・ぺりーの壺の連作は面白かった。陶芸には、これまで抽象的な文様か、あるいは花鳥風月などの姿が単体で描かれるだけだった。それに対してぺりーは陶芸作品に社会的メッセージやストーリー性を盛り込んだ。その点が際立ってユニークだ。

トニー・クラッグの廃材を寄せ集めた作品は楽しい。アイデアとしては新しくなさそうだが、形態や色彩のセンスの良さで作品の質を保っていると思う。

2008年5月19日 (月)

茂原淳 作陶展Ⅵ「変化と永遠」

2008年5月18日(日)

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「茂原淳 作陶展Ⅵ・変化と永遠」(クラフトショップ俊:茅ヶ崎)に行った。茂原淳の個展はこれでほとんど全出席だ。

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今回のテーマ(変化と永遠)創出に作家は苦労したであろうと推測する。これまでのテーマを振り返ると、「注ぐ」「盛る」「飲む・呑む」「飾る」「皿」というように「機能」「使用目的」が中心となっている。「変化と永遠」という言い回しは、これらの中にあってコンセプチュアルな言い回しで特異だ。

「変わっても変わらないもの」というと何だか判じ物っぽくなるが、作者が昔から強く心に抱いて普遍なものであろう。一本の丈夫な芯が通っているように。私はそれは「芸術性と実用性の融和」だと勝手に想像している。

今回私は「礫(れき)」と名付けられた皿を購入した。表面が黒くざらざらしており、名称通り「瓦礫(がれき)」や「瓦解(がかい)」を想わせる。しかしその味わいは崩壊感覚ではなく、奥深い深淵の感覚だ。

今回の隠れテーマは恐らく海であろう。友人が購入した鉢「真砂(まさご)」や盃「淡海(あふみ)」などのネーミングからもうかがえる。すると私のゲットした作品は暗い深海のイメージであろうか。

茂原作品は実際に使ってさらにその魅力が増す。以前購入した白い深皿に菓子を入れて使っているが、毎日見ても飽きない。今回の「礫(れき)」もそれらの仲間入りをするわけだ。我が家の楽しみがまた増えた。

2008年5月16日 (金)

佐伯祐三展

2008年5月16日(金)
「佐伯祐三展」(そごう美術館:横浜)へ行った。また「国展」報告シリーズに割り込んでしまったが、感動の賞味期限が来る前に書いておきたかったのだ。

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佐伯祐三は抽象好みの私が例外的に信奉する具象画家だ。昔から個展などで作品に親しんできたが、いつ観ても感動するし新しい発見がある。

今回の展示で心を動かされたのは「工場」だ。

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これは佐伯の他の作品とは違う。しかし感銘を受ける。どのような点がユニークで、特殊なのかを考えてみた。
1. 代表作によく用いられる画面を引き締める赤が姿を消している。
2. いったん完成させた堅固な構成を、意図的に崩しているように見える。
3. 油絵なのだが、パピエ・コレのようにがらくたを貼り合わせたような感じがする。
これは最近ラウシェンバーグの訃報を聞いたので、そのせいかもしれない。

まだまだあるかもしれないが、上記のような特異性がこの作品を際立たせている。そしてそこから感動が生まれる。しかしこの作品が発するオーラは、どちらかというと「負のエネルギー」だ。観る人を暗いムードに引きずりこむ。ただ、その力が強大なので逆らえないのだ。

あまり暗くなりすぎてもいけない。気分を変えよう。「人形」は以前も観たことがあり「綺麗な女性だなあ」と感心していた。しかし、モデルが人形だということは今回まで知らなかった。そうか、この美女は人間界には存在しなかったのか。佐伯の別の側面に触れることができる作品だ。

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「煉瓦焼」は強烈な印象を残す。ここでは得意の赤が要所を押さえ、鮮やかだが抑制された表現で味わい深い作品だ。緑、青の配置も画面全体を楽しいものにしてくれる。佐伯の傑作のひとつだろう。

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そごう美術館は、ブリジストン美術館同様、夜8時まで開いていてくれるので助かる。いつもありがとうございます。

2008年5月14日 (水)

国展:彫刻部

2008年5月11日(日)
「国展」彫刻部に関しては真っ先に岩崎幸之助の「水太鼓」を紹介したが、その他の彫刻にも興味深いものが多数あった。

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まず原口健一だが、これらの作品を一目観て何が思い浮かぶだろうか?

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そう、ブランクーシの「空間の鳥」だ。向かって左の大きいほうが「秋暁の月」、右の小さいほうが「雲杉」という作品だが、どちらもブランクーシの傑作に似ている。このように巨匠の作品に類似した形状で勝負するのは勇気を必要とするだろう。一つ間違えると人真似呼ばわりされかねない。

しかし原口作品はそのような懸念を退け、独自の個性として立派に自立していると思う。ブランクーシの作品に比べ、より柔和な曲線を描き、より有機的な雰囲気を醸し出している。東洋的な叙情を内に秘めているとでも言おうか。二つの作品をこのように並置することにより、さらにその個性が拡大されているようにも見える。

次は粕谷圭司の「層位(ゆらぎ)」だ。これは妻(仮名ジョアンナ)が「面白い」と評した作品だ。

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一見、一本の樹木の周囲を積み重ねた立方体が覆っているような構成だ。しかしよく見ると樹木が途中で寸断され、空洞化している。また回りの立方体も直線ではなく曲線で構成され、何となく頼りなさそうだ。これは「ゆらぎ」という副題によくマッチしている。

これも有機的な感じに見えたが、実際は合板を素材としていると聞いた。合板という工業的な材料を用いて、自然界のゆらぎを表現したと考えると、これまた意義のある作品に見えてくる。

菊地伸治の「彼の居場所」には子供時代に戻されてしまった。

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一見、抽象作品に見えるのだが、よく見ると塔状をした岩盤をくり抜いて造られた山城を表していることがわかる。一番下から時計回りに階段が掘られている。塔をぐるりと回る階段は、やがて途中で消え、そこに開口部があり塔の中に入れる。そして別の開口部からまた階段が上へ延びており、さらに次の開口部へと進める。こうして最後には頂上の城までたどり着くことができる。

私は作品の回りをまわりながら、この階段と開口部を目で追った。これが実に楽しいのだ。子供時代に帰ったような、何とも言えない奇妙な感じである。

作品は全体構成にも優れており、自然石のざらざらした肌触りの部分と、黒みかげ石であろうか、きれいに平面に磨かれた人工的な部分とが組み合わされ、微妙なハーモニーとリズムを奏でている。

そして芝田典子の「陽光」。これは岩崎幸之助の作品と並んで、今回私が最も気に入った作品だ。

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直線と曲線の組み合わせによる構成の面白さは群を抜いている。丸く掘り抜かれた3つの穴に落ちる影までが、その構成的な興味を助長しているかのようだ。

ここでもブランクーシを思い出した。数学的構成という知的・人工的な側面と、質感、肌触りなどの自然的な側面の同居である。彫刻の醍醐味はこのコンビネーションにあると言ったら言いすぎだろうか。

他にも面白い作品が目白押しだった。出来栄えはみな同程度だから、ここで言及しなかったのはほんの偶然にすぎない。紹介しなかった作家の方々、すみません。

2008年5月13日 (火)

岡鹿之助展

2008年5月13日(火)「岡鹿之助展」(ブリジストン美術館)に行った。夜8時まで開けておいてくれる「サラリーマンの味方」ともいえる美術館だ。有難い。「国展」の報告が途中だが、割り込みで記事を書くことにした。

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テーマごとに分類して展示する方式が採られていたが、これは類似作品を比較しながら鑑賞できるので嬉しかった。私は第9室の「7章:群落と廃墟」と「8章:城館と礼拝堂」が最も楽しめた。 特に好ましく感じたのは「群落A」だ。

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岡独特の上品な色調が堅固な構成に乗り、観ていて楽しく飽きない。茶と緑が支配する画面に一部青が混入しているが、これが不思議とマッチしている。躊躇なく絵葉書を購入した。 もう一つ「僧院」も良かった。

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「群落A」同様、斜め上から見下ろした風景だ。建物の前に樹木が数本立ちはだかっているが、意外に邪魔な印象を受けない。むしろ画面を引き締める効果があるようだ。これも絵葉書を購入。

第10室の「融合」は読んで字のごとく複数テーマを融合した作品を並べたものだ。しかしあまり強い印象を受けなかった。いくつかのモチーフやテーマを同一画面におさめようとする試みは良いと思う。しかし、出来上がった作品として何か物足りないのだ。 これはたぶん岡が清楚な風景画家だからだと私は思った。

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もう少しシュールがかった作家なら、例えば建物と花を並べる場合、その比率などを無視して異質な物の出会いを創出するであろう。それに対して岡のような「真面目な」絵では、対象物一つ一つは魅力的でもそれらが複数あることにより、逆に重心が失われた感じになるのではないか。 これは決してそれらの絵が不出来だという意味ではない。岡の絵はみな素晴らしいが、それらの中で比較してみたら、上記のような印象を受けたというだけだ。岡ファンの方、誤解なきよう。(フォローになってないかな?)

2008年5月12日 (月)

国展:岩崎幸之助の「水太鼓」

2008年5月11日(日)
もともと「国展」は岩崎幸之助の水太鼓がお目当てだった。

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「水太鼓」シリーズは、今回で12作目を数えるという。観ても美しいし楽器にもなる優れ物だ。作品の下には「穴をふさぐように叩いてみて!」というメッセージが添えられている。

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書かれた通り、穴をふさぐように叩くと高・低さまざまな音が出る。素手でも音を出せるが「へら」のような器具で叩くともっと大きな音を発して面白い。子供たちが喜んで叩いていた。展覧会ではほとんどの場合、作品に触ることを禁じられるが、これはうれしい例外だ。五感を総動員して味わう芸術は本当に楽しい。

ある穴を叩くと、少し離れた別の穴から音が出るという仕掛けもあった。これは2つの穴が作品の中でトンネルのように繋がっているからだとか。それが気道になるのだろう。でも、そのような曲線を描く穴をどうやって掘ったんだろう?これはかなり難しい技術なのではないかと思った。

音の出る構造も興味深いが、一般の彫刻作品のように観るだけでも渋くて深みのある作品だ。全体は中世ヨーロッパの城のように見える。周囲を城壁がぐるっと取り囲んでいるが、縦縞の模様が小気味いいリズムを奏でている。上部にある2つの丸い部分は低めの尖塔か。手で簡単にぐるぐる回せるのがまた楽しい。そして城の庭には大きな池があるという寸法だ。豊かな水をたたえた中庭を観ながら王様とお后様がくつろげる空間がそこにある。

ところでこの「水太鼓」という作品名は今まで何も違和感を感じなかったのだが、よくよく考えてみると不思議な名前だ。石で出来た彫刻なのだから「石太鼓」と呼んでもいいのではないか・・・とも思ったけど、やはり「水太鼓」のほうがすわりがいいなあ。「水を張った石の太鼓」というような意味なんだね。それに「水」という文字を含むとすがすがしい感じが出るし。というわけで、めぐりめぐって「水太鼓」が最もこの作品に相応しい名前だとあらためて認識した。初夏に相応しい作品だ。

今後、13番目、14番目の水太鼓はどんな形をしているだろうか。楽しみだ。

2008年5月11日 (日)

国展:イントロ

2008年5月11日(日)
「国展 第82回 美術の春」(国立新美術館)に行った。会期終了の前日なので結果として滑り込みの形となったが、実はだいぶ前からスケジュールを調整して行く日を決めていたのだ。

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この展覧会は初めてなので事前にその展示規模が読めず、半日あれば大丈夫だろうと予想していた。しかしその予想は大きく外れた。展示点数の多いこと多いこと!結果としてすべての作品を観たのだが、それは興味のわかない作品をチラっと眺めるにとどめたから可能となったのだ。それでもまるまる半日かかった。

こんなに展示作品が多いと、作品の平均的な質が低いだろうと思った。しかしなかなかどうして、どれもこれもが力作揃いという印象を受けた。

規模が大きい展覧会なので一つの記事ですべての感想を書くのは難しい。そこでいくつかの記事に分けて書くことにした。なにしろ展覧会の図録も「絵画部」、「彫刻部」・・・など分冊になっているのだから。マスプロ大学の卒業アルバムが学部で分冊(例えば医学部、理工学部、文科系の学部などに分離)になっているのと似ているね。

以上で前ふり終わりだよ。

2008年5月 3日 (土)

横須賀美術館の裏山

2008年5月3日(土)
横須賀美術館の裏の散歩コースを歩いた。

まずいきなりこの看板にビビって足が止まる。アートを観に来て命を落したんじゃたまらないからね。

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するとまた危ない張り紙が・・・。これは塹壕跡だろう。

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アンコール遺跡の一部を想わせる木の根があった。

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付近には同じような塹壕跡があった。この暗さ・・・。

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この扉は地下庫に通じているのか。

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今はもう開けられることもなく扉が並んでいる。

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そうか、ここは「三軒家砲台跡」と呼ばれる場所だったんだ。

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ここに大砲が置かれていたのか。今は跡形もないが。

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同じ名前が冠せられていても、「三軒家園地」という公園は明るくて美しいからいいな。

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この公園の看板を持っているのは河童だったのか。

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海を見渡せる眺めのいい場所だ。

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私好みの構成的な樹木もあるし。

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石で造られた重厚な表示も据付られている。砲弾の形をくり抜いてアクセントにしている。

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「三軒家園地」を離れ「ふれあいの森」に向かって歩く。

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路面そのものがアートだ。これは素晴らしい。

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案内板を見た。「ふれあいの森」までは遠そうだから今日はこの辺で引き返そう。ここは「花の広場」というらしい。

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緑は豊富だが、どこに花があるんだろう?

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夕闇が迫ってきている。もう戻ろう。

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というわけで散策はおしまい。楽しいところだ。また来るぞ。

中村岳稜展

中村岳稜展(横須賀美術館)へ行った。

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この画家について気に入った点は次のとおりだ:
♪流行や権威に迎合せず独自の創作をした
♪様々なスタイルを試し作風を変えた(ピカソのように)
♪それを裏打ちする基礎技術がしっかりしている

最も感動したのは「清暁」だ。夕日に照り映えた樹木のシルエットが何とも言えず美しい。そのすぐ傍にもう一回り大きい「残照」が展示されていた。この作品も良かった。チラシの裏面に紹介されているよ。

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「花菖蒲」も良かった。琳派みたいなの装飾性が強く、金箔が目立つのだが、不思議と上品で静かな空間を形成している。これは絵葉書になっていたので嬉しかった。

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横須賀美術館は初めて行ったのだが、建物も美しいし、裏の山の散歩道も楽しかった(これは記事を別に分けた)。エントランスでは、これまた大好きな清水九兵衛の作品が出迎えてくれた。

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この美術館は気に入ったので、遠いがまたぜひ訪ねたいところだ。

2008年5月 2日 (金)

國文学5月号

この絵をよーーーく見てください。

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そしてすぐ次の絵を見てください。

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あれ?どこか違和感がありますね。そうです。引き出しがいびつに見えるのです。

ついいつもの癖でくだらないイントロを書いてしまったが、「國文学」5月号(學燈社)<特集 翻訳を越えて>は面白い。

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いや表紙だけじゃないよ。中味もだよ。

特に「自動翻訳機はどこまで進むのか」(富士 秀)は執筆者の名前通り富士もびっくりの秀逸さだ。いま翻訳者が非常に気にしていること(自動翻訳が進むと自分たちの仕事が無くなるんじゃないか)に応え、易しく丁寧に解説している。

「翻訳という名のアート - 言葉の置き換えから創作へ」(江藤裕之)も読むと飛ぶぞう。カール・ブッセ原詩・上田敏訳「山のあなたの空遠く・・・」が、単なる翻訳ではなく事実上創作に値するということを力説している。

「カフカ以前とカフカ」(池内 紀)も、題名に魅力がある。もちろん中味もちゃんとしているが。

こういうマイナーな雑誌にも、ピカリと光る秀作が散りばめられていることを知った。編集者は大変な努力を強いられていることだろう。

2008年5月 1日 (木)

今日のオブジェ これは何だ?

これは何ーんだ?

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3足\1,000で買った靴下の正札だよ。
うーむ、もうちょっとハイソな物だといいんだが。

湘南連合書道展

2008年5月1日(木)
第24回 大日本書芸院 湘南連合書道展」(藤沢市民ギャラリー)を観た。

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多くの作品は漢詩を題材としていた。例えば次のような五言絶句などである。

春來日漸長 酔客喜年光
稍覚池亭好 偏開酒甕香

私は漢詩について何一つ知らないが、この詩の内容は何となく私に合っているように思えた。最初の句は「春が来て日がだんだん延びてきた」という意味だろう。次の句は正確にはわからないが「飲んべは明るいうちから飲めるので喜ぶ」程度の意味かな。次はわからん。「飲み屋が池のほとりにあって木々の枝が水面に映って綺麗だ」なんているいい加減な訳を思い付いた。次も正確にはわからないが、「酒の甕(かめ)を叩き割ったら芳しい香りがした」ぐらいに解釈できそうだ。要するに飲んべの詩だな、これは(笑)。

脱線したが、展示された多くの作品は、このような格調高い漢詩を題材に、それに相応しい書を書いたものだった。そして、それらの中に混じ現代文をテキストにしている「一派」があった。テキストは例えば次のような文章だ。

長生きするためにはゆっくりといきることが必要である。

このように題材がマジョリティーと性質を異にしている。また描き方、構成も独特だ。墨は薄め、文字列は左に大きく傾いた状態で並行に走っている。この「一派」に属するであろうと思われる作家は次の通りだ。

石井石翠
岩崎翠堤
榎本栄香
金井為翠
松下竹村
山嵜巷翠

全体的に面白かったので次回も観に行こうと思った。

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