2007年8月24日(金)
ニューヨークのチェルシー地区にて
出発前から楽しみにしていたギャラリー巡りをしようと、チェルシー地区に乗り込んだ。しかし、道を間違えたのか画廊が1つも見つからない。あてもなく隣のブロックに移ったら、それらしき所があったので入ってみた。そこが「Miya Shoji」だった。当初の予定から外れ、そこが同地区で唯一訪ねた場所になった。でも後悔していない。とても有意義な時間を持てたから。
【Miya Shojiと花房さん】
「宮障子&インテリア」は階段だんすなど、日本の伝統的な技を活かしたインテリアを生み出す店だった。木製のテーブル、ランプシェードなどが置いてある。どれもが自然の木材が持つ素材感を大事にした制作態度を感じさせるものだった。Miya Shojiのホームページは工事中だけど若干の情報は得ることができる。
http://www.miyashoji.com/
立派な髭の主人と思われる人から日本人かと聞かれて、そうだと答えた瞬間から2時間近くにわたる談笑が始まった。この人がアーティストの花房壽夫さんだった。70歳だが若い!ニューヨーク滞在45年という。後に書くように変わった人なのだが、私も自他ともに認める変人なので意気投合してしまった。
【自然をアートに活かす姿勢】
店に置かれた老木の切り株を見ながら花房さんが説明する。木は樹齢を重ねてゆくうちに、何らかの圧力によってねじれが生じることがある。そのような環境変化を経て年輪が重なってゆくと、円環の形や色相が微妙に変化し複雑な模様を生む。それが面白いというのだ。なるほど、変形した年輪や「色相のグラデュエーション」というものを実感させられた。花房さんは、このような自然が作り出したアートを巧みに取り入れてインテリアを作っていたのだった。
置いてある階段だんすは木の素材感を損なわない範囲で、丁寧で綺麗な仕上がりに見えた。一方、木製のテーブルは生木の持つ荒々しい触感をそのまま活かしたワイルドな仕上がりを見せていた。このように、商品(後ほどの言葉に関し補足あり)一つ一つについて、使用目的に合わせて個性を打ち出しているように思えた。
【花房さんの思想と生きざま】
花房さんは大変ユニークな考え方をする人だ。そしてそれを実践してしまう。自分のことを「社会から外れた人間」というように表現していた。確かに、話を聞く限りでは普通の人の考えと行動からは大きく外れた「変わった人」に見えた。その変わりようも半端じゃない。日本での成功をかなぐり捨てて渡米し、皿洗いからやり直したんだから。
それは長い話だった。西陣織と友禅という京都で長らく別々に引き継がれてきた伝統技術を世界で始めて融合させ、それを特許にして一儲けした。また絵(花房さんはもともと画家だった)も売れてきた。そのような成功にひたっていると自分がダメになると思い、単身米国へ渡り皿洗いを始める。そして「世界一の皿洗い」になると決心して仕事に励む。
そうするうちに300人収容できるレストランのコック長にまでのし上がる。まわりの雇われ人は、それまでアゴで使っていた日本人がいつの間にか自分たちを追い越して逆に上の立場になってしまったことに戸惑いを隠せない。花房さんは彼等に言う。「仕事が違うだけで我々は同じ人間だ」と。
【雇い主としての花房さん】
そして現在の店では10人を雇ってインテリア商品を作らせている。花房さんの下で働いて何十年になるベテランもいれば、まだ一年生もいる。しかし給料の額は全員同じというのだ。これには驚いた。ここにも花房さんの考え「仕事が違う」が徹底されていた。
ある時、雇い人の一人が6週間入院した。その間、花房さんは通常と同じ給料を払い続けていた。これには他のメンバーが不満を漏らした。「不公平だ」と。それに対して花房さんは「では病気の人への給料を止めるが、あなたが同じ状況になったら同様に給料を払わないがいいか?」と切り替えして黙らせた。何という徹底ぶりだろうか。
【花房さんのビジネス感】
花房さんは「サービス」が唯一の職業だと言う。その「サービス」に対し顧客は対価を支払うのだと。レストランで食事を提供するのはサービスだ。お客はそれに対する対価として代金を支払う。
これには伏線がある。渡米前、花房さんは自分の生み出すアートを商品として見られたくなかった。だから自分から企画した個展は一度も行っていない。一度あるアートディレクターが花房さんを取り上げて個展を企画した。その際、花房さんはカタログの表記で「花房壽夫個展」という表記を排除し、そのアートディレクターの名前を冠とした展覧会にすることを主張した。
展覧会を企画したのは自分ではなくその人だからという理由だ。アートディレクションは人々がアートに触れられるという「サービス」を提供するビジネスだが、自分は画家であり、そのビジネスを行う人間とは違うという思想だ。
【作品でなく「商品」・・・】
そう言えば私が店を辞去する際、作品の写真を撮っていいかと聞いたら花房さんはキョトンとした顔をして「作品?そんなものはここにはありませんよ」と言う。店に置いてある階段だんすなどはは、もはや「花房さんの作品」ではなく「宮障子&インテリアが提供する商品」なのだ。
その他にもいろいろ話をした。銀行に借金したことがない話、子育ての話など。旅行に同好した弟家族と夕食の約束があるので辞したが、もっと話していたかった。「またいらっしゃい」と花房さんに言われ、次はいつ来れるかな、と未練を残してヒルトンに戻った。
帰国後、MIya Shojiを紹介したサイトを見つけた。
http://www.ejapion.com/specials/index.ej?issue_no=381&page=2
花房さんはMiya Shojiの社長を退き、息子さんに譲ったらしい。
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