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2007年4月29日 (日)

靉光展

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「生誕100年 靉光展 闇の奥に鋭く光るもの」(東京国立近代美術館)に行った。作品の暗さにはついてゆきにくい部分もあるが、暗い画面の背後にある種のエネルギーが感じられた。キャッチフレーズではそのエネルギーを「光」と呼んでいるが、「力」にも置き換えることができそうだ。

私はラッキーな鑑賞者だ。暴漢によって傷付けられた「眼のある風景」を、その事件前に観る機会があったからだ。つまりオリジナルと修復後の両方を見比べることができたわけだ。また細かくいうと、修復作業も何回かに分けてなされたようで、その過程も2度ほど目にしたと思う。

というのは、事件後まだ日が浅い時期に修復された作品を見たら、「眼」の周辺で絵の具の塗り方がとても粗末だったのだ。塗り方も粗雑だし、色調も周りとマッチしない。そして、しばらくしてからもう一度見たら、こんどはだいぶましになっていた。それでも、今回の最新の状態を見ても、事件前のオリジナルの凄みには回帰していなかった。誠に残念である。と同時にオリジナルの状態をこの目で観たことを本当に幸運だったと思う。

靉光と言えばこの「眼のある風景」が中心となってしまう。今回は別の靉光を探そうと思って観たところ、初期自画像が目にとまった。今回は晩年の有名な自画像3つが揃い踏みだった。それらは、さすがに威厳と重みを感じさせたが、初期自画像もなかなか興味深かった。絵葉書に仕立てあげられたところを見ると、やはり重要作品だと判断されているのだろう。

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服の色彩の渋さ、そして石の壁を想起させる背景の質感・・・これが抽象画だったとしても十分通用する。また赤と緑の補色関係にしても、双方が中間色で渋いためどぎつさを感じさせず上品に仕上がっている。確かにこの作品を晩年の自画像に並べたら浮いてしまうが、また別の味わい・別の世界にある作品だと思う。


他には、♪「静物(魚の頭)」(展示番号41番)と「花園の虫」(同46番)に描かれたボッシュを思わせる巨大魚や、壺を描いた「カット(9)」(同M13)のようなセンスのいいカット作品が印象に残った。日本画の中では「あけび」(展示番号86)のコンポジションが小気味良かった。もちろんシュール好みにとっては、「作品」(同90,91,94)の奇怪なドローイングも捨てがたい魅力を放っていた。

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