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2007年4月28日 (土)

ブルーノ・タウト展

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「ブルーノ・タウト展 アルプス建築から桂離宮へ」(ワタリウム美術館)を観た。桂離宮の画帖と絵手紙が素晴らしく、強い印象を得た。 アーティストとしての建築家を想うとき、まず第一に惹かれるのはコンセプトとドローイングの二つだ。

作品としての建築をさておいて、という事になるので少々不謹慎な言い方かもしれない。しかしこれには理由がある。 絵画や彫刻、音楽、文学などに比べて建築が背負っているハンディがある。それは人間がその中で居住しなければいけないという制約条件だ。この締め付けはハンディなどという生ぬるいものではなく、ほとんど「原罪」に近い致命的な、マイナス要因として機能している。 そのような不利な条件の下で建築家が自己を表現し、アピールするためには建築という作品以外に広告塔を持たないとやっていけないと思うのだ。そしてその広告塔に相当するのが、カッコいいコンセプトであり、素敵なドローイングだというわけだ。
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ブルーノ・タウトの場合、アピール度が強いと思ったのはドローイングで、具体的には画帖「桂離宮」と数々の絵手紙だ。「桂離宮」は敷地に足を踏み入れてから目指す建物に至るまでの道筋を仔細に説明すると同時に味わい深い絵で飾り、さらにそこに宗教的にまで深められた思索が盛り込まれている。単なる大人の絵本ではなく、文学・思想と美術の一人コラボレーションとでも呼びたくなる逸品だ。
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また絵手紙は、画超「桂離宮」ほどの完成度がない分、自由奔放な筆致の中に踊る知性とセンスのほとばしりが感じられる。手紙なので、部分的には世間話のような内容で芸術的鑑賞に耐え得るかどうか疑問なところもあろうが、それらが集積して全体としての絵手紙を構成すると、それはもう幽玄な墨絵の世界に近い。

こんな手紙を受け取ったらどんな気分になるだろうか。そして、こんな手紙を描いてみたいという願望を抱いてしまう。しかしこれは画家としても達人であるタウトだからできる領域だろう。それはよくわかっているんだが・・・。

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