« 有元利夫展 | トップページ | 行きたい展覧会 2007年その1 »

2007年1月 6日 (土)

スーパーエッシャー展

Photo_48 本来なら、混雑するのが見えていたので行かないはずだった「スーパーエッシャー展」(Bunkamura ザ・ニュージアム)に行ってしまった。その理由は招待券を手に入れたので行かないともったいないと思ったからだ。今日は天気が荒れ模様なので少しは空いているだろうと思ったが甘かった。会場へ入ったら、そこはエッシャーの世界ではなく、満員電車の世界だった。特に入口付近は混んでおり、最初の作品を観て次に進むまで5分ぐらいかかった。このペースで展示作品160点を観るには、5 x 160 = 800 で、なんと13時間もかかる勘定になる。最初はどうなるかと思った。すると進むにつれ少しづつ人の波がほぐれてきて、徐々に観るペースが上がってきた。そのため、そんな長時間にはならなかったが、それでも3時間は会場にいた。

エッシャーは、「少年マガジン」の表紙を飾って若者のファンができた事も追い風となり、ポピュラーなアーティストになった。だから私なんぞが下手な紹介文を書くだけ無駄というものだ。もっと意味のあることを書こう。というわけで今回の成果を書くことにする。それは「イタリアの風景は、それ自体が美しいので描いただけで美しい絵になる。しかしそうでない地域では風景自体が美しくないので、自分で再構築してみたくなる。」というエッシャーの考えに触れたことだ。(上記の言葉は元の意味を損なわない程度にジョヴァンニ流に書き換えています)。

エッシャーは個々の素材はそこらに転がっているもの(魚、鳥、虫など)を取り上げ、それらを数学的に均整の取れた方式で構成して魅力ある作品に仕立てあげてしまう。これは音楽とアナロジーが成立しそうだ。例えばバッハがどこかの民謡を聴き、旋律がさほど美しくないと感じたら、持ち前の作曲技法を駆使して味わい深いポリフォニーの音楽を創造するというシーンが想起される。そういえばエッシャーもバッハの音楽に啓発されたとか。あるいは文学においては、4人の男女がある街で恋愛のもつれを引き起こすという取るに足らないモチーフに基づき、ローレンス・ダレルが「アレキサンドリア四重奏」を書いてしまうとか、そういうのにも似ているな。そう言えば近々、本邦初訳の「アヴィニョン五重奏」が出るらしい。読まなきゃ。

__66 今回は招待券で図録も絵葉書も何も買わなかったから、珍しく展覧会に行って出費ゼロか、と思ったが最後に財布のヒモをほどくことになった。子供(といっても大きいが)から「でんぐりでんぐり」のマスコットをお土産に欲しいと頼まれていたのだ。そのためガチャ玉に取り組むハメとなった。これは8種類のフィギアのうち何が出るか事前にわかならいのが辛いところだ。1回目、はずれ。2回目もはずれ。3度トライしてはずれたら打ち止めにしようと思って開けたらやっと「でんぐりでんぐり」が当たった。私もこのての物は「オブジェ」と名付けさえすれば好きなのだが。それより私みたいな中年がガチャ玉にかじりついてお目当ての物が出るまで頑張っている姿こそオブジェになりそうだ

« 有元利夫展 | トップページ | 行きたい展覧会 2007年その1 »

コメント

コメントありがとうございました。
こちらにもTBさせて頂きます。「でんぐりでんぐり」当たったんですね!
再構築という技術は、鋭い観察力と感性に支えられた創造力があってこそ成立するのでしょうね。
ジョヴァンニさんの記事大変勉強になります。今後ともよろしくお願いします。

raccoonさん、多彩ですね。アートと文学のどちらにも造詣が深い感じです。小生、作曲する分、音楽はアドバンテージがあると思いますが他の分野は専門的にわかっていません。そのため好き/嫌い、美しい/そうでない、洗練されている/ダサい、などの形容詞を並べるだけです。今後も貴ブログを参考にさせてください。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/163862/4823954

この記事へのトラックバック一覧です: スーパーエッシャー展:

» スーパーエッシャー展 ある特異な版画家の軌跡 [Schicksal]
Bunkamura ザ・ミュージアムで開催されているスーパーエッシャー展。 初日(11月11日)に行ってきたんだけど、記事にしていなかった...上手くまとめようと思うとなかなか書けず、か [続きを読む]

« 有元利夫展 | トップページ | 行きたい展覧会 2007年その1 »

最近のトラックバック