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2006年12月 2日 (土)

内田あぐり展

Photo_45 「日本画の今 内田あぐり展 この世でいちばん美しい場所、あるいは-」(平塚市美術館)に行った。翌日が終了日なのでギリギリ滑り込んだ格好だ。前から気になっていた画家だが、人物像で有名だというので長い間敬遠していた。私は人物画が苦手だから。しかし今回の展示作品を観て「来て良かった」と思った。最近作は大きな画布全体に色と形が交錯しながら配置され、ほとんど抽象画と呼んでいいほどだ。部分的には人物像が置かれたり、人体の部分が素材として使われていたりするが、それらは絵の中心ではなく、部品として活用されていた。これが日本画なのだから時代も変わったな。以前から思いを強くしていた「日本画と洋画の区別はもはや岩絵の具と油絵の具の差でしかない」というテーマを想い出した。

_continue_052_061 例えばcontinue #052+061(写真は左半分)という作品の混沌とした表現がすごい。最初は気づかなかったが、左端近くにテーブルタップ付き延長コードが貼り付けられている。白地に墨で描かれた人体の一部(脚と思われる)に重ねられているが、不思議と違和感が無い。右のほうに目を移すと、引き裂かれた形態(これも人間の脚のように見える)がその裂け目で縫い合わされている。最初は描かれたものかと思ったが、近づいて見ると脚の形に切られた布が本物の糸で縫ってあり、それが貼り付けられていた。このようにコラージュの技法も随所に見られる。また後ずさって全体を眺めると迫力ある構成物がそこにある。不安定な形態ばかり並んでいるにもかかわらず、総合的にはバランスが取れている。見事だ。

_11 内田あぐりのサイズが大きい作品は、どこを切り取っても美しい抽象画に見える。例えば11秒間、喉から出た声」写真は左半分)という作品を採り上げよう。一番左側には三角形状の突起が3本見える。これらは作品全体からするとほんの数%の部分にすぎないのだが、それぞれ形・色彩・素材感が豊かで美しい。中央部分(この写真では右端)も形と色の豊穣なハーモニーとなっている。そして全体に目をやると、「continue #052+061」同様、見事な構成感が得られる。

ここで不思議に思ったことがある。カタログの土方明司氏の解説によると、内田あぐりは学生時代、石膏デッサンとか西洋的な遠近法に馴染めなかったという。それを額面通りに受け止めると、彼女は数学的な構成力に弱いということになる。しかしこうして作品を観ていると素晴らしい構成感があるのはなぜだろうか?彼女は幾何学のように数理で割り切って絞ってゆく方法とは別の、もっと総体的な構成感を脳の中に持っているのだろうか?あるいは数理とは別の「美的な構成感」という独自の感性を生まれながらにして持っているのだろうか?これは面白いテーマなので他に同じようなアーティストがいたら共通点を探り、新たな理論を打ちたてられるかもしれない。これは妄想に過ぎないな・・・。

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