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2006年12月29日 (金)

2006年美術展回顧

今年の展覧会通いも打ち止めになったので、この一年を振り返ってみたくなった。去年の夏にブログを始め、今年に入って本格的に記事を書くようになると、本末転倒のようだがまるでブログを書くために美術展に通ったような気もする。記録をひもとくと、大小あわせて58もの展覧会に足を運んでいたのだが、これは平均すると週1回を上回る数だ。内容的には、もともと好む抽象画を中心に、ビデオアート、写真など新しい分野に積極的に触れようとした一年だった。

展覧会にランキングを付けるのは、あまりにも主観的に陥るので意味が無いかもしれない。しかしこれだけの数になるとやはり順番を付けてみたくなるのが人情だ。総合評価の順位は次のとおりだ。

     第1グループ(文句なし:大満足)

a. 柄澤齊展(神奈川県立近代美術館 鎌倉)

b. 吉原治郎展(東京国立近代美術館)

c. 堂本尚郎展(世田谷美術館)

d. 宇治山哲平展(東京都庭園美術館)

e. 吹田文明展(世田谷美術館)

f. 詩人の眼-大岡信コレクション展(三鷹市美術ギャラリー)

♪a.について友人から「図録のABを2つとも買ったか?」と聞かれた。図録には柄澤のオリジナル版画がおまけについているのだが、ABの2種類から選ぶという企画だったのだ。彼によると、両方とも買うと後々価値が違うらしい。私はAだけだったが。作品はどれも素晴らしいものばかりで、文句なく今年の筆頭に掲げてよい展覧会だろう。♪b.も良かった。吉原というと「○」をまず思い浮かべるが、抽象、具象の間をさまよいながら独自の世界を確立していった過程をつぶさに見ることができた。♪c., ♪d., ♪e.は言ってみれば「楽しい抽象」という世界だろう。私の好みだ。f.はあまりにも楽しかったので相関図を作ったりして展覧会後の楽しみも倍加した。

     第2グループ(満足)

a. 森治郎水彩画展-具象と抽象の間(茅ヶ崎市美術館)

b. 内田あぐり展(平塚市美術館)

c. 武満徹Vision in Time展(東京オペラシティアートギャラリー)

上記のうち♪a.の「具象と抽象の間」というのは大好きなテーマの一つだが、作品の良さも加

り満足のいく展覧会だった。♪b.も満足だった。ただ展示点数が少ないことだけが不満だっ

た。♪c.もよかった。展示された自筆譜をもっと詳しく見たかったなあ。


     第3グループ(有意義)

a. さよならナム・ジュンパイク展(ワタリウム美術館)

b. ビル・ヴィオラ:はつゆめ(森美術館)

c. ヨロヨロン「束芋」(原美術館)

d. 大竹伸朗 全景(東京都現代美術館)

e. 選抜奨励展(損保ジャパン東郷青児美術館)

f. 楽芸会(ハスキーズ・ギャラリー)

g. オーストラリア現代美術展(ブリジストン美術館)

a., b., c. の3つはビデオアートという分野において草分け、現代の巨匠、日本の気鋭の若手という3人の作家とその作品を知るという意義があった。そのおかげでこの分野について少し理解を深めることができた。♪d.はアーティストはどうやって生まれ、成長するのかという事を考えさせられ、なおかつエネルギーをもらうという意義があった。♪e.は大竹と比べるとまだ知名度を得ていないアーティストたちの多様な個性に触れることができた。♪f.は音楽と美術という二領域の融合という興味深いテーマを実践してくれたので意義があった。彫刻家の岩崎幸之助氏との出会いも大きな収穫だった。♪g.はこれまで未知だったオーストラリアのアートについて一辺に親しみを持つことができた。

さあ来年はどんな展覧会が待っているだろうか。

2006年12月28日 (木)

郵便局強盗で一句

【時々一句】郵便局に強盗が押し入り1,600万円が奪われたが・・・

   人質を助けてみれば伴侶なり

というわけで「演技派」強盗だったわけだ。しかし職員には「怪我するぞ」で人質役の奥さんには「動かないで」のように態度が変わるなんて、バレバレじゃないのかね。それでも職員はだまされたのか。気が動転していると平常時の判断力が鈍るのかもしれないな。

今回は元歌取りがみえみえで恥ずかしいが、いろいろヴァリエーションが作れて楽しいぞ。

   粉飾犯捕らえてみたらトップなり

こーでぃある、あーでぃある・・・といろいろ言い訳した挙句、みっともないね。最初から潔く告白すれば多少は同情票が集まりそうなものだけどな。

   音外れ探してみたら自分なり

あ、あまり他人を攻撃するとこのように自分に跳ね返ってくる。来春、友人の合奏団に加わるが、ファジーな音程は如何ともし難い。

というわけで今年は時事川柳のリハビリ期だったな。来年はがんばって飛翔したいものだ。

2006年12月24日 (日)

ブラフ18番館のクリスマス

「ブラフ18番館のクリスマス」として西洋館でクリスマスキャロルを中心にBGMを演奏した。いつもはお客様の椅子を並べたサロンコンサート形式だが、今回は館からの要請でBGM方式になった。収穫はバッハ作曲「マタイ受難曲」のアルトのアリアだ。ヴァイオリンのオブリガートはそのままヴァイオリンで、アルトの旋律はチェロで、通奏低音その他の声部はピアノで奏した。これがまたいい曲なんだな。最近特に思うけど、バッハはポリフォニーの構成も豊かで優れているけど、メロディーも美しいなあ。あまり曲がいいので弾いているうちに興奮してきて力が入ってしまった。

妻は平塚で別のコンサートに出演。イブだというのにすれ違いとは、夫婦共にプロの音楽家は大変だなあ。もとい、妻はプロだけど私はアマチュアです。今のはちょっと言ってみたかっただけです。平塚のほうは高校のクラスメートの女性(プロのヴィオラ奏者)も出演し、彼女目当て(かどうか確かめていないが)で高校の仲間はみな平塚の方に行ってしまった。

2006年12月22日 (金)

職場のクリスマスコンサート

勤務先の音楽仲間が事業所でのクリスマスコンサートに出演するので聴きに行った。私も出演する可能性があったが、今回は降り番でじっくり聴く役にまわった。サックスアンサンブル、金管アンサンブル、リコーダーとキーボード、フルートとキーボード、最後にアカペラの合唱だ。

地域に人々に開放した催しなので子供たちが大勢はしゃいでいた。そのため線の細いリコーダーやフルートはよく聞こえない部分があった。演奏がうまかっただけに残念だ。こういう場合は、音が大きくて明瞭なサックス・アンサンブルが有利だな。なお冒頭に「どらえもん」を演奏して子供たちを引きつけたのは巧妙な作戦(?)だと思った。

混声合唱の指揮者がクリスマスキャロル「牧人ひつじを」について面白いエピソードを話してくれた。この歌は英国風に綴ると「The First Nowell」、米国風に綴ると「The First Noel」なんだそうだ。そしてどちらの国で生まれた歌かということを両国の間で長年議論しているとか。歌一曲に国家の威信をかけるとは・・・。どっちでもいいのにね。いい歌なんだから。でも当事者はそんなわけにはいかないのかな。なお指揮者の加藤さんはソプラノ歌手でもある。「Amazing grace」のソロ、素晴らしかったですよ。

2006年12月21日 (木)

梶山明美ソプラノ・リサイタル

Photo_46 「ADVENT(待降節) 梶山明美ソプラノ・リサイタル」(武蔵野市民文化会館)に行った。妻がピアノ、尊敬する師匠(略すと尊師)の大橋美智子が作曲・ピアノ、ソプラノの梶山明美も練習で何度も顔を合わせているという内輪メンバーだ。従って、感想は内々行ない、ここでは演奏以外の感想と記録性を中心にしたい。 ♪カッチーニのアヴェマリアは梶山明美がピアノから遠いステージの右奥に立ってスポットライトを受けながら歌った。ヴィジュアル効果満点だった。 ♪武蔵野市民文化会館は三鷹駅から徒歩10分以上かかり、大変遠く感じた。もう少し駅に近いといいのになあ。 ♪梶山明美と(もう一人と)共にCDを出したクラリネット奏者 谷尻忍氏が、今回は梶山明美のアッシーを担当してくれた。ありがとうございます。 ♪梶山明美はピアノの蓋を全開にするのを好む。蓋が反響板の役割を持ち、よく響くからだそうだ。しかし今回はほとんど閉めていた。ピアノの調整がうまくいっておらず、大げさに言えばベレンベレンという音がするからだそうだ。 ♪打上げで食べた「鎌倉パスタ」は美味しかったなあ!

2006年12月20日 (水)

今日の英語:朝令暮改

職場で仕事上のドンデン返しがあったので「朝令暮改」を英語で何と言うか、というのが話題になった。しかし同僚からは「Morning decision, evening change」など、真面目くさった案しか出ず、あまり面白くなかった。 ウェブで調べてみたら、あるオンライン辞書には「chops and changes」とか「swings and roundabouts」と出ていた。別の辞書には「frequent change of regulations」と書いてあった。なるほど、そんな感じもするなあ。また「fickle/inconsistent」という単語での表現も紹介されていた。でも英語としてこなれているけど、朝と暮という原典の意味から離れすぎているし、やはり全然面白くない。両者の中間的な言い回しはないものだろうか。正月休みでボーっとしている時にでも考えてみるか。

2006年12月19日 (火)

「飛んでも八分」の語源

「飛んでも8分、歩いて10分」の語源は何かというのが話題になった。いろいろ案が出たが、ネットで調べてみたら英語の「Never Happen」をもじったものらしい。なるほどね。それだけではつまらないので、実際に八分飛ぶとどの程度の距離を移動できるのかを検証してみた。 小型機は時速300kmぐらいだ。8分飛ぶと40km移動する。東京から横浜ぐらいだ。マッハ2のジェット機だと326kmに達する。名古屋ぐらいまで行けるんだ。スペースシャトルは秒速8kmぐらいだとか。これはすごい。8分飛ぶと3,840km移動できる。おおよそ千里に相当する。「悪事千里を走る」・・・これが言いたかったのだ。お後があまりよろしくないようで。

2006年12月18日 (月)

ブルックナーの[ぶつ切れ]を好きになる法?

弦楽合奏団でチェロの人が体調を崩されたりして補欠のお呼びがかかったので初練習に参加し、その後忘年会に突入した。コンバス兼副指揮者は知識が広い人で様々な話をしてくれたが、その中でブルックナーの「ぶつ切れ」についての講釈が面白かった。

私はオーケストラ作品をあまり知らない。在学中、ハイドンの権威・中野先生の研究室に遊びに行った時にライテントリットの「音楽形式学」がいい本だと薦められたので読んでみた。なるほど形式の歴史的発展の経過がよくわかる好著だと思った。その中にブルックナーの交響曲第8番のアナリーゼが載っていたので、私はブルックナーはこの曲が作曲技法的に一番面白いのかと思った。そこで早速、ブルックナー命の友人の下宿に遊びに行った際、8番のレコードを聴かせてもらった。彼は本当にマニアで下宿でボリュームを上げ、指揮棒を取り出し振りながら聴くという凄まじさだった。その時の私の感想が「ぶつ切れの楽想」だった。こんなものは美しくないんじゃないかと。

さて話は忘年会に戻るが、コンバス兼副指揮者氏が言うにはブルックナーはもともと教会のオルガニストだから、その曲も宗教音楽であり、オルガン的だということだ。そして一節が終わりゲネラルパウゼ(全楽器が休む)になると、残響が心地よく響くのだそうだ。この残響を味わえないと、「ぶつ切れ」に聴こえるという説だ。なるほど、言われてみるとそうかもしれない。

というわけだが、以上の話はオーケストラのファンにとっては特に耳新しいことではないかもしれない。その場合はごめんなさい。しかし私のようにオーケストラを広く知らない人にとっては「なるほど」になると思う。それでブログにアップしてみたんだ。

2006年12月16日 (土)

ドラクエの任天堂復帰で一句

【時々一句】

   プレステの国への旅を終える神

「神の旅」、「神の留守」や「神無月」はみな11月の季語だけど「旅を終える」と書いたから12月でもいいんだよね。この理屈って通らないかな?長男がゲーム業界に勤め始めたから、あまり変な事は書きにくくなってきたぞ。

2006年12月14日 (木)

コラージュとフォトモンタージュ展

__62コラージュとフォトモンタージュ展」(東京都写真美術館)に行った。展示点数は少なかったが、過去に、今回に通じる展覧会に足を運んでいたので、全部合わせてこの分野を概観できてよかった。

これまで行った展覧会は次の通りだ。♪「写真展|シュルレアリスト 山本悍右 不可能の伝達者20018月(東京ステーションギャラリー:面白かったなあ。♪「ドイツの女性美術家 ハンナ・ヘーヒ コラージュが紡ぐ夢、そして不安2003年6月(町田市国際版画美術館):仕上げはあまり丁寧ではないがインスピレーションを得られた。♪「日本最古の写真団体 浪華写真倶楽部:浪展200511月(東京都写真美術館):展示作品は一部今回とダブっていたが、それらを媒介として今回の観賞に繋げることができた。♪

もともとシュールレアリスムが好きだったから、今回出展されたマン・レイの「アングルのヴァイオリン」などは馴染みのある作品だ。それを核にし、上記の他の展覧会で観た作品によって楽しみの輪を拡げた感じで嬉しい。

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2006年12月12日 (火)

漱石先生からの手紙

__58高校の恩師が本を書いた。「漱石先生からの手紙 寅彦・豊隆・三重吉」(岩波書店)だ。ほとんど発売と同時に購入し、読み始めた。全編、師匠と弟子たちの暖かい交流という通奏低音が流れ、漱石の人柄を偲ばせる。

内容を書くと艶消しになるので止めるが、一部だけ音楽に関係あるところを紹介しよう。弟子の寺田寅彦はヴァイオリンを弾き、クラシック音楽のファンだったそうだ。ある日寅彦は夏目漱石先生と上野にコンサートを聴きに行く。その最後の曲目がドヴォルジャークのピアノ五重奏曲だったというのだ。この曲は今でこそ有名だが、当時の日本では無名の作品だったのではないか。そういう曲を好んで聴いていたのは、今で言えばかなりのオタクに属するだろうと思った。

なお会場は上野の奏楽堂だと推測する。奏楽堂が落成したのは1890年だ。寅彦が熊本第五高等学校で漱石に出会ったのは1896年だから、既に奏楽堂は存在していた。また同書によると「この音楽学校の演奏会・・・」と書かれているから、東京音楽学校(今の芸大)の学生あるいは講師陣メンバーが奏楽堂で演奏したコンサートではないかと思う。演奏はどんな感じだったのだろう?現在の演奏家より技量は劣っていただろうが、寅彦が満足するだけの雰囲気のある演奏をしたのではないか。そのように考えるとイメージが広がって楽しくなる。

楽しい本ですよ。皆さんも読んでください。(先生、ちゃんと宣伝したから褒めてください!)

「推進」:英訳しにくい言葉

日本語の書類を英語に訳す際、いつも訳語に困る言葉がある。その一つがこの「推進」。前後関係によって異なるけど、とりあえず置いておくのが「implementation」だ。日本語の本当の意味に近いと思う。そういえば昔は「推進」を「promotion」なんて訳していたなあ。でも、もっと的確な訳語はないものだろうか?誰か教えてください。

2006年12月 8日 (金)

ワンダフルコンツェルト

__57ワンダフル コンツェルト」(横浜みなとみらい大ホール)を聴きに行った。ソロヴァイオリンは高校の友人の娘さん。オーケストラの一人は親戚という繋がりだ。当初4曲予定されていたがピアノ協奏曲のソリストが体調を崩し1曲減った。それでも2時間かかったので、4曲すべて演奏していたらもう30分以上加算され、終演後の同期との飲み会が遅くなっていただろう・・・と余計なことを考えてしまった。なおオーケストラ(東京サンフォニエッタ)は寄せ集め的だが演奏は上手だった。アンサンブル経験が豊富な奏者を集めたからだろう。

冒頭にシューベルトの「未完成」が演奏された。以前弟の職場のオーケストラに2年間参加したことがあり一度定演で演奏したことがある。しかし詳細は忘れるものだ。第1楽章の第1主題はフルートで奏されるとばかり思っていたところ違う音色が鳴ったので「あれっ?」と思った。実際はオーボエとクラリネットだったのだが。これはもしかすると、幼い頃聴いたレコードで第1主題の音色をフルートだと思い込んだことに起因するかもしれない。先入観はなかなか取り除くのに時間がかかるものだ。随所に出てくるチェロの比較的高音のピチカートが美しい音色だった。それが収穫かな。

2曲目のチャイコフスキー作曲ヴァイオリン協奏曲のソロを弾いた山中まりえテクニックがしっかりしていて音色が美しかった。駆けつけた高校同窓の仲間の中に音楽評論家みたいな友人がいて、「全体的に流れすぎる」と感想を述べていた。彼のちょっぴり辛口の評を除けば友人たちの評価は良かった。


本来の4曲目で結果的に3曲目となったベートーヴェンのピアノ協奏曲第4は日吉武のソロ兼指揮で演奏された。ゆっくりしたテンポでのんびりムードの演奏だったが、もっと速くてもいいのにと思った。実はこの曲は来年2月にサロンコンサートで友人がソロを弾くためにオーケストラパートを室内楽版に編曲したのだ。今回は生演奏を聴いて編曲の効果について考える機会を得て有意義だった。

重森三玲の庭

__54 「生誕110重森三玲の庭」展(松下電工汐留ミュージアム)に行った。本物の庭を美術館に運び入れることができないため、写真パネル、模型、設計図などの展示に限定されているが、楽しく観賞することができた。これまで「作庭」というジャンルに疎かったので、今後目を向けるための良いきっかけとなった。考えてみれば庭園は抽象彫刻に通じるものがあるので、遅かれ早かれ興味を持つ運命にはあったのだろう。

__53 三玲のデビュー作は東福寺本坊北庭の「市松の庭」だそうだ。飛石を交互に並べて市松模様にしただけのシンプルなデザインだが、とても美しい。でも先人は考えつかなかったのだろうか。コロンブスの卵のようにも思える。それまでは飛石の並びが「線」(一次元)として取り扱われていたのを面(二次元)に広げたわけだ。ではさらに拡張して三次元に・・・というのは観念が先走っているな。失礼しました。ここは素直に三玲の先進性を尊敬しよう。独学でこれほど見事な庭を作ったのだから。

__55 同じく東福寺本坊の東庭は「北斗七星庭」という命名だ。近代的でロマンチックだなあ。円筒形の石が北斗七星に似た配列になっている。さらに高さをいろいろ変えることにより一つ一つの石に個性を持たせ、変化を伴う流れが形成されている。個々の素材の個性と、全体の構成の両面に気を配りながら絶妙な配列を生み出したという感じだ。白い砂の上の白い石という白づくしの世界に黒い影が奥行きを持たせているのも印象的だ。

__56 三玲は渓流に洗われる荒い地肌の巨石を原風景に抱いているという。その感じがよく現れているのが松尾大社の「蓮菜の庭」だ。池にごつごつした大きな石がニョキニョキ生えている。西洋のストーンヘッジは巨石が系統立って幾何学的に配置されているが、その対極としてこのような一見ばらばらな配列がある。東洋的なバランス感覚だ。そこには秩序立ってはいないリズムが感じられる。西洋音楽のリズムではなく、自然のリズムだ。もっともこれらの石は三玲により意図的に配置されたのだから、厳密に言えば自然ではないかもしれないが・・・。

今回展示パネルで観た庭はぜひ実物を拝みたい。東福寺は京都東山だから遠いが、いずれ訪ねる機会があるだろう。楽しみだ。

2006年12月 5日 (火)

今日の英語:朝飯前

今朝、出社するなり同僚が「朝飯前」を連発していた。英語で「a piece of cake」という事も含めて。面白いので辞書を調べたらいろいろな言い回しが見つかった。

This is a piece of cake.

It’s easy as pie. (または easy as apple pie

こういう表現はアメリカ人が言い出したんだろうな。お菓子が好きだから。

Duck soup

うーむ、これは飲むと重そうだがなあ。軽いのかなあ?

Like taking lunch for you.

お昼をおごるのは朝飯前にできないじゃないか、というのは屁理屈かな?

Cinch(馬の腹帯)

締める作業は大変そうだが、どうしてこれがたやすいのだろう?

As easy as kiss one’s thumb

As easy as kissing someone’s hand

そう簡単でもないぞ。かわいい女の子が相手だとあがってしまい、なかなかできないぞ。

Child’s play to me.

最近の子供の遊びは結構難しいぞ。ゲームなんかは。

Crip

これは cripple(手足の不自由な人)の短縮形らしいから差別用語になりそうだ。使わないほうが無難だろう。

Simple matter.

It’s easy as ABC.

It’s not a big deal. (またはIt’s no big deal.)

Very easy job.

うぅ、つまらない。この辺で止めよう。

2006年12月 3日 (日)

今日のオブジェ:展覧会のチラシのコラージュ

飯田善國は大好きなアーティストだったのに展覧会に行けなかった。チラシを捨てられずバラバラに切ってコラージュにした。悔しいから終了日を隠した。

__51

2006年12月 2日 (土)

柄澤 齊展

Photo_44イメージの迷宮に棲む 柄澤 齊展」(神奈川県立近代美術館 鎌倉)に行った。幻想的なイマジネーションの豊かさと版画制作技術の高さで前評判の通り、いやそれ以上に素晴らしかった。ぜひアート好きの友人に勧めたいが、1224日の終了日が迫っている。みんな早く行って下さいね。満足度の高さはジョヴァンニが保障しますよ。

実はこの展覧会について、事前に二人の友人から聞かされていた。そのうちの一人は会社の昔の同僚だ。文章と挿絵の両方とも柄澤 齊の手になる小説「ロンド」の文庫本を持ってきて「面白いぞ」と教えてくれたのだ。この展覧会が鎌倉に先立ち栃木県立美術館で開催されていた頃のことだ。本を見たら興味をそそられ、「宇都宮まで観に行ってしまいそうだ」と言ったら彼も同感だと答えた。半分本気だったのだが、結果的には行かずに鎌倉での開催を待つことにした。

そしてもう一人は高校の友人で植物画家の松本千鶴さんだ。茅ヶ崎での彼女の個展を観に行った時、「すごーく上手な版画家の展覧会がある」と教えてくれたのだ。その時は既に展覧会のことは知っていたのだが、この展覧会の重要さを再認識することになった。

__47 冒頭にも書いた通り柄澤の素晴らしさは幻想的なイマジネーションの豊かさと版画制作技術の高さだと思う。例えば木口(こぐち)木版画の版画集「転身譚」の中から「ビュブリス」を観てみよう。ビュブリスはローマの詩人オウィディウスの変身物語に登場する悲劇のヒロインで、太陽神アポロンの孫娘だ。自分の流した多量の涙により泉に変身したという物語だが、その変身場面を描いた作品だ。この種の奇談は、描き手があまり達者でないと品格を疑われる作品になりがちだが、柄澤の腕はそんな心配をよそに完成度の高さを見せている。ビュブリスの頭部を逆さにするあたりに柄澤のアイデアが込められ、緻密な描線により洗練された作品に仕上がっている。そしてこれはほんの一つの例であり、他の多くの作品が同様の個性と品格を有しているのが驚きなのである。

__48 柄澤の冴えた技巧は肖像画でも発揮される。木口木版画による肖像画シリーズは対象の個性を突出させるために背景まで含めて様々な工夫が凝らされている。例えば肖像Ⅳ「アルチュール・ランボー」を取り上げてみよう。操り人形の取れた頭部が転がっているようで怪奇趣味をのぞかせている。しかし背後のカーテンや下に敷かれた布地の質感が見事で、全体として品性のある作品に昇華している。

__49 一方、水彩で描かれた「エリック・サティ」は全く別の世界を見せている。淡く彩られた斑点は飛び跳ねる音符を連想させ、今にもサティの音楽が聴こえてきそうだ。ドビュッシーに形式を重んじろと言われたら「梨の形をした小品」で回答を返したサティの洒脱さが、このニヤっと笑った顔を含め、よく現れているように思う。またこの作品は純粋に造形的な美しさという点においても優れた作品だと思う。右下の余白も効果的だし、サティの顔の緻密さと背景のぼかしとの対比もよい。

_polyphony 柄澤はオブジェも面白い。「Polyphony」(多声音楽)と題された作品は箱の中にネウマ譜を敷き、その上にぜんまい、貝殻などを散りばめた愛すべき作品だ。ポリフォニーが好きなジョヴァンニの感性にぴったりというわけだ。箱というとジョゼフ・コーネルを思い出すが、オブジェを箱の中に押し込めた点でコーネルの作品の雰囲気を持っている。モノクロームの重々しい版画作品の中にあって、明るくユーモラスな面を持った作品に出会うとほっと一息つける。

__50 墨を使った作品も美しい「虚舟圖」は墨だけでなくアクリルや金箔を併用しているので墨絵とは呼べないが、墨の持つ伝統的な美しさを有し、そのうえに抽象画の楽しさを併せ持たせた優雅な作品だ。本来のジョヴァンニの好みからすると、この展覧会で最も波長が合った作品ということになる。いずれにしても柄澤の多面性を示している作品だ。

柄澤作品だけでお腹いっぱいになり、しかも今日は平塚の「内田あぐり展」から梯子だったので、別館で同時開催していた「ヨーロッパ版画との出会い」やお決まりコースの古本屋を泣く泣くパスして帰った。いま、充実感にひたりながらこのブログを書き終えた。

内田あぐり展

Photo_45 「日本画の今 内田あぐり展 この世でいちばん美しい場所、あるいは-」(平塚市美術館)に行った。翌日が終了日なのでギリギリ滑り込んだ格好だ。前から気になっていた画家だが、人物像で有名だというので長い間敬遠していた。私は人物画が苦手だから。しかし今回の展示作品を観て「来て良かった」と思った。最近作は大きな画布全体に色と形が交錯しながら配置され、ほとんど抽象画と呼んでいいほどだ。部分的には人物像が置かれたり、人体の部分が素材として使われていたりするが、それらは絵の中心ではなく、部品として活用されていた。これが日本画なのだから時代も変わったな。以前から思いを強くしていた「日本画と洋画の区別はもはや岩絵の具と油絵の具の差でしかない」というテーマを想い出した。

_continue_052_061 例えばcontinue #052+061(写真は左半分)という作品の混沌とした表現がすごい。最初は気づかなかったが、左端近くにテーブルタップ付き延長コードが貼り付けられている。白地に墨で描かれた人体の一部(脚と思われる)に重ねられているが、不思議と違和感が無い。右のほうに目を移すと、引き裂かれた形態(これも人間の脚のように見える)がその裂け目で縫い合わされている。最初は描かれたものかと思ったが、近づいて見ると脚の形に切られた布が本物の糸で縫ってあり、それが貼り付けられていた。このようにコラージュの技法も随所に見られる。また後ずさって全体を眺めると迫力ある構成物がそこにある。不安定な形態ばかり並んでいるにもかかわらず、総合的にはバランスが取れている。見事だ。

_11 内田あぐりのサイズが大きい作品は、どこを切り取っても美しい抽象画に見える。例えば11秒間、喉から出た声」写真は左半分)という作品を採り上げよう。一番左側には三角形状の突起が3本見える。これらは作品全体からするとほんの数%の部分にすぎないのだが、それぞれ形・色彩・素材感が豊かで美しい。中央部分(この写真では右端)も形と色の豊穣なハーモニーとなっている。そして全体に目をやると、「continue #052+061」同様、見事な構成感が得られる。

ここで不思議に思ったことがある。カタログの土方明司氏の解説によると、内田あぐりは学生時代、石膏デッサンとか西洋的な遠近法に馴染めなかったという。それを額面通りに受け止めると、彼女は数学的な構成力に弱いということになる。しかしこうして作品を観ていると素晴らしい構成感があるのはなぜだろうか?彼女は幾何学のように数理で割り切って絞ってゆく方法とは別の、もっと総体的な構成感を脳の中に持っているのだろうか?あるいは数理とは別の「美的な構成感」という独自の感性を生まれながらにして持っているのだろうか?これは面白いテーマなので他に同じようなアーティストがいたら共通点を探り、新たな理論を打ちたてられるかもしれない。これは妄想に過ぎないな・・・。

2006年12月 1日 (金)

時々一句:近未来通信で一句

今日は季語を入れて時事俳句だ。

   自転車に乗りて納める年貢かな

今回はすんなり出来てしまった。

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