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2006年10月31日 (火)

時事俳句(先を越されている)

以前「一日一句」と称して月曜から金曜まで毎朝、時事川柳を作って親しい友人にメールしていた時期があった。これが1年間続いたのだが、仕事が忙しくなって中断し、そのままになっていた。

昨晩、仕事帰りに幼ななじみに会い「俳句の会」に誘われたが、私はそんな高尚なことはできないと言った。もっとも時事川柳は実は大変難しいんだけど、一般的に俳句のほうが格が上だよね。

そこで「Heavy Moon」(重い月=思い付き)(駄洒落失礼!)で「時事俳句」というジャンルを開拓したら英雄になれるかも、と考えた。念のため検索エンジンで調べてみたら、なんとこのアイデアはとっくの昔に考えられていて、実践までされていた。これはショックだったな。同じ事を考える人はいるもんだな。それも大勢。

そんなわけで今回の「Heavy Moon」は一人相撲に終ったけど、今後も隙あらば新しいものを開拓するぞー。ちなみに名前の「序盤に隙あり」は序盤だけのことだよ。中盤は結構強いんだよ。序盤は段無しで中盤は初段以上あるって四段の人から言われたから。

2006年10月28日 (土)

プリズム:オーストラリア現代美術展

__46プリズム:オーストラリア現代美術展」(ブリヂストン美術館)に行った。地域の特性が非常に強く打ち出された企画だった。展示作品のほとんど全部が先住民の訴えというメッセージを帯同していたからだ。今まで私はこの種のアートを無意識に避けてきたが、ここまで大群となって押し寄せられると無視できなくなる。弾圧を加えられた民族の反発力がそのまま注入されたアートには強靭さが備わっていると感じた。

__8 そうは言っても長年の趣味嗜好は急に変えることができないから、社会派メッセージの側面はちょっと横に置き、自分らしく純粋に構成の美しさを楽しめた作品を追ってみよう。まずはホセイン・ヴァラマネシュの「落ちていた枝」だ。文字通り落ちていた木の枝を組み合わせて壁に貼り付けただけのインスタレーションだが、幾何学的な造形美を感じた。これを見た瞬間、ゴールズワージーの作品かと思った。自然物で円を構成した作品がゴールズワージーにもあるので思い出したのだ。作者はイラン系オーストラリア人という異色の存在だ。

__9 次はドロシー・ナバンガーディの「ミナミナの塩」だ。黒地のキャンバスに白の点が無数に並べられている。作品から離れてゆくとまっすぐ並んだ点はつながって線となり、並行に並んだ線はつながって面を形成する。そしてまた作品に顔を近づけてゆくとそれらの面や線が分解されて点に還元されてゆく。そのうつろいが面白い。また全体の構成も魅力的だ。どこかにありそうな構成だが今まで見たことがない個性的な作品だった。ミナミナとは彼女の先祖代々の土地だそうだ。

__13 異色の構成を見せてくれたのがフィオナ・ホールの「運が向くとき」だ。世界各国の紙幣に各種の葉を重ね、それらを一列に並べただけの作品なのだが、不思議と構成の妙を感じる。重ねられた葉は神話か何かの関連で幸運をシンボライズするのだろうか。それとも先住民が葉を紙幣代わりに使っていたからであろうか。探したが日本の紙幣は無かった。構成美に向かないと思われたのだろうか。いろいろ興味が尽きない。一つ一つの部分が丁寧に作ってあり、渋い色調と相俟って上品な作品に仕上がっており、好感がもてた。作者はアメリカで写真を学んだ後、現代オーストラリア美術の代表格にまで上りつめたそうだが不勉強で名前を知らなかった。

ブリヂストン美術館は一流作品を多く所蔵しているので常設コーナーも楽しい。今回も次のようなウハウハするような作品たちに出会えた。

__12 

・ フジタ「ドルドーニュの家」:フジタ作品の中で文句なし一番好きな作品だ。

     ヘップワース「翼のある人物Ⅰ」:エレベータ横にいきなり置いてある。

・ ピカソ「ブルゴーニュのマール瓶、グラス、新聞紙」:好感。

     クレー「島」:クレー命だから作品に出会えると嬉しい。

     ザオ・ウーキー「07.06.85」:ブルーが美しいなあ。

     デュフィ「オーケストラ」:音楽もあるし。

     猪熊弦一郎「Sky Triangle」:いいね。

     堂本尚郎「連続の溶解9」

     斎藤重義「作品」

     菅井汲「OKA

これで(常設展も含めて)入場料1,000円は高くないと思った。

2006年10月22日 (日)

モーツアルトのトリオに違和感?

友人と組んでいるピアノトリオで次回以降の演奏曲目を企画したが、その中にモーツアルトの通称「ケーゲルシュタット・トリオ」が含まれていた。30歳の時に作曲されたので晩年の作品に属するだろう。あまり演奏されないが、なかなかの佳品である。原曲はクラリネット、ヴィオラ、ピアノという珍しい編成だが、クラリネットをヴァイオリン、ヴィオラをチェロに置き換えて演奏しようという意欲的な企画なのだ。

クラリネット→ヴァイオリンは比較的スムーズにゆくがヴィオラ→チェロは課題が多い。双方は弦の配置がぴったり同じだが1オクターブ違うのだ。だから1オクターブ下げて演奏する分には運指が似ているので弾きやすいが、原曲の音高で弾こうとするとその分高いポジションを取らなければならない。これが難しいのだ。でもそれは今回のテーマではない。書きたかったのはその第2楽章(メヌエット)における一種の「違和感」についてだ。。

以下、楽譜に基づいて説明するけど、譜面をすっきりさせるためにクラリネット、ヴィオラ、ピアノのパートを一つにまとめて書いてある。だから原曲の総譜とは異なるのでご了承いただきたい。

この楽章は変ロ長調で3つの楽器の元気なアンサンブルで始まる。冒頭はいいが、第6小節目でちょっと違和感をおぼえるのだ。その感じはどこから来ているのかを考えてみた。その結果を原曲の譜面に書き込んだ。ポイントとしては、冒頭の変ロ長調から途中で変ホ長調に転じたかに見えた瞬間、変ホ長調の音階の構成音になるはずの変イ音が鳴らず、代わりにイ音が鳴るので「あれっ?」と感じるのだと思う。

この違和感をどうしたらなくすことができるかと考えたのがジョヴァンニ修正案だ。違和感の元凶と思われる点を突き止め、その箇所を他の音に変えることにより自然な流れにしてみた。ピアノなどで両者を比較して戴くと、私の意図を理解してもらえると思う。

この曲はモーツアルトが「ケーゲルシュタット」(ボーリングのような一種の遊戯)に興じながら作曲したと言われている。それでは、この違和感は遊びながらいい加減に作ったからだろうか?いや天才モーツアルトだからそんなはずはない。では遊技場で出された酒にほろ酔い加減で作ったからだろうか?これも信じ難い。モーツアルトなら多少酔っ払っていても、和声などの誤りを犯すはずがない。だからこの違和感が不思議なのである。

違和感の原因(候補)を列挙してみた。皆さんはどれが真の原因だと思いますか?

A:ジョヴァンニが未熟だから洗練された曲に違和感を感じただけだ。ジョヴァンニは才能が無いくせにモーツアルトを冒瀆するとんでもない悪いやつだ。

B:遊技場にモーツアルトの弟子も来ていた。モーツアルトはもっとゲームをやりたかったので、弟子に構想を説明して代筆させた。しかし弟子は無料の酒につい手を出して酔っ払いながら作った。

C:モーツアルトは違和感がない完璧な曲を作ったが、後日清書屋か楽譜出版社のミスで違和感のある音符が印刷されてしまった。

Mozart_trio__1

Mozart_trio_

茂原 淳 作陶展

__茂原 淳 作陶展」(彩香:桜新町)に行った。高校同級生の陶芸家で、彼の個展には殆ど毎回足を運んでいる。毎回1つづつ作品を購入したので狭い我が家の中は茂原作品に席捲されてしまったようだ。今回も「花入・少方」(はないれ・しょうほう)という立方体状の花器を買ったので、また1つ分リビングルームの茂原色が強まったわけだ。

購入した作品は全体的には立方体だが、2つの角をそぎ落としている。そのうち1つは注ぎ口、もう1つは花器を斜めに置く際の底面の役割を果たしている。写真は購入作品より一回り大きいものだが相似形なのでその形が推測できると思う。これは斜めに置いた状態を映したものだ。もちろん広い面を下にして置けば普通の置き方になるが、その場合は普通の箱型に見えるだろう。

底面としてそぎ落とした角のカットする長さは作者が経験則で割り出したそうだ。美しいプロポーションに見えたので黄金率などを応用しているのかと思った。しかし実際は立方体の一辺の3分の1とか単純な比例にしてあるとのこと。無理数の比率など細かい寸法に凝っても、窯で焼いた時にぶれが生じるのであまり意味がないのだと教わった。

Photo_5 今回はいつもの茅ヶ崎ではなく、世田谷区桜新町2丁目の住宅街にある「彩香」という洒落た店だ。陶磁器、漆器の他に麻物、手工芸品など和物を広く取り扱っている。今回は高校同級生が他に2名駆けつけてくれた。作者在廊という強みがあったせいか、長時間居座って作者を含め4名のクラス会みたいになってしまった。同級生の一人が「ここでは時間がゆったりと流れる」というようなことを言っていた。確かに落ち着いたたたずまいで、命の洗濯ができた感じだ。彩香さんありがとう。

2006年10月15日 (日)

ハンガリア舞曲の編曲

仲間と組んでいるピアノトリオで演奏するためにブラームス作曲「ハンガリア舞曲第1番」を編曲した。最近作曲の筆が止まっているので、編曲でも自分の表現をしたいという血が騒いでやりたい放題やってみた。自由に泳がせてもらった場合に私がやることは主として2つある。

その1:自分のパート(チェロ)は演奏は易しいがカッコ良く鳴るようにする。

その2:原曲でモノフォニーの部分に他の部分の旋律を重ねてポリフォニーにする。

Photo 最初の譜面は曲の冒頭の部分。チェロは主要旋律を朗々カッコ良く歌う。ヴァイオリンは普段と逆にチェロの3度下で同度進行を中心としたオブリガートに甘んじてもらう。ピアノは伴奏音型だ。これが典型的な<その1>パターンだよ。ヴァイオリンの最低音Gがもう半音下だと理想的なオブリガートになったんだが、それは目をつぶることにした。これでもう充分に贅沢だから。

Photo_1 もう一つの譜面は経過句。ここが<その2>に相当する。ピアノが速くて細かい動きを見せ、通常はこれだけが旋律なんだが、それになんと冒頭の主題の変形(ヴァイオリンのパート)を重ねたんだ。原曲を良く知っている人がここでフフッと笑ってくれることを期待している。「なかなか面白いことやるじゃん」と言ってくれたら最高だ。そういうオタク的ジョークも兼ねてるんだが、果たして意図通り受けるかどうか・・。

2006年10月14日 (土)

橋村奉臣展

■橋村奉臣展

__5 HASHI[橋村奉臣](東京都写真美術館)に行った。展覧会が始まる前後の時期に「ワイングラスが割れる瞬間などを写した写真展をテレビで紹介していた」と妻から聞いていたのだが、高速度撮影なら歴史が古いので大したことはないだろうと思っていた。しかしチラシを見たら、高速度撮影の作品もただそれだけではないオーラを発しており、加えてセピア色の渋い作品群も魅力的に思えたので終了前に是非観ておこうと思ったのだ。

展示作品は大きく2つのタイプに分かれていた。「一瞬の永遠」という高速度撮影によるカラー作品群と、「未来の原風景(ハシグラフィー)」というモノトーンの作品群だ。とても同一作家の作品には見えない2つの個性が共存している感じだ。しかし双方は「時間」という大きなテーマでしっかり結ばれていた。つまり「一瞬」と「未来」だ。このコンセプトの裏打ちが、また両方の作品群の観賞をより楽しくしてくれているようだ。

__6 「一瞬の永遠」には「刹那」の美学があるようだが、中には高速度撮影によらない作品もあった。「クリスマスの思い出」がその好例である。フォーク、ナイフ、スプーン、皿とその上に横に置かれたマグカップがただ映っているだけだ。それらは真っ黒に汚れ、長期間放置されたかのように見える。きっとクリスマスディナーに用いたものをそのまま洗わずに何カ月も保存し、撮影したのだろう。そんな事を想像すると単なる汚れ物に見えてくるが、作品そのものを無心に眺めると、実に美しいのだ。そして黒ずんだ汚れは目を背けさせるものではなく、「永遠の」時間を感じさせてくれるから不思議だ。

__7 一方「未来の原風景(ハシグラフィー)」は一転モノトーンの世界に入る。例えばこの「フランソワ・ラシェズと顧客、ランス」が代表的だ。印画紙にどういう処置を施したのかわからないが、写真が年月を重ねて風化し、古色蒼然としたたたずまいになっている。未来の展覧会で自分の作品を観る、というような趣向らしい。私好みの一種の心象風景のようで興味深かった。

     ポスト・デジグラフィ展

Photo_4 同時開催の「ポスト・デジグラフィ」も観た。ここでは展示よりスクリーンのある小部屋が良かった。そこでは、この分野の種々のコンクールで受賞した作品を紹介したVTRが流されていた。コンピュータ・グラフィックスやアニメなど多彩な作品のさわりが次々に現れ、面白いのでずっと席を立たずに観ていた。受賞作品ということで「ハウルの動く城」のような有名作品も含まれていたが、さすがに有名作品は表題だけ紹介し、中味は省略されていた。

2006年10月 9日 (月)

秋から冬に行きたい展覧会

秋から冬にかけて行きたい展覧会を列挙しておこう。(終了の早い順)

09/16-10/29  HASHI[橋村奉臣]展(東京都写真美術館)

10/07-11/12   あしがら里山アート展(神奈川県足柄郡)

09/30-11/26   飯田善國-版画と彫刻-(町田市国際版画美術館)

09/25-12/15   かわさき現代彫刻展2006(川崎市「アウマンの家」周辺広場)

10/14-12/03   内田あぐり展(平塚市美術館)

10/21-12/24   第3回府中ビエンナーレ(府中市美術館)

10/28-12/24  ★イメージの迷宮に棲む 柄澤齋展(神奈川県立近代美術館・鎌倉)

10/07-12/24   伊東豊雄 建築|新しいリアル(東京オペラシティアートギャラリー)

01/21-03/19   国立新美術館開館記念展 20世紀美術探検(国立新美術館)

__2 特に面白そうなものに印を付けた。★HASHI[橋村奉臣]展はテレビでも紹介されていたが、私好みのシュール/心象風景的なものが多そうだ。でも会期中に行けるかな?「一瞬の永遠」は高速度撮影でグラスの割れる姿をとどめたりする。以前からよくあるパターンだがその趣には独特のものがありそうだ。

__4 「未来の原風景」は過去・未来の両方に通じそうな普遍性を備えていそうなたたずまいだ。「ハシグラフィー」といって写真と絵画の融合を目指した作品群だそうだ。モノトーンの画面がある種の不思議な色彩感というか雰囲気を醸し出している。

Photo_3 ★イメージの迷宮に棲む 柄澤齋展はぜひ行きたい。茅ヶ崎市美術館の常設展示で、植物画の松本千鶴が「とっても上手な木版画家」と教えてくれた作家で、内容的にも私好み(シュール)っぽい作品が多い。精密な線なので一見銅版画に見えたのだが、なんと木版画だというので驚いた。

2006年10月 7日 (土)

松本千鶴 草花に想いをよせて展

Photo_1 ■「草花に想いをよせて」展

「松本千鶴 草花に想いをよせて 展」(茅ヶ崎市美術館)に行った。松本千鶴本人の植物画の他、お弟子さん達の作品も併せて展示されていた。作者は高校の同級生なので当然ひいき目になるが、それを差し引いても素晴らしい作品群だ。なぜそう言い切れるかというと、以前彼女の「体験教室」に出たからだ。草花を鉛筆で写生するのだが、これが滅法難しい。自分でやってみて改めてプロの技を知ったのだ。

作者が在廊していたのでいろいろ話を聞くことができた。特に今年の新作について、その特徴を考えてみた。なかでもスズラン(ユリ科)は今までにない構成というか構造をしていて面白かった。普通の場合花は葉と葉の間に咲くが、スズランは葉とは別に花が生えてくるので特異な形になるのだ。作者によると、作風の変化というよりは素材の持つ個性がそのまま出たということらしい。他にはバイモ(ユリ科)、ドクダミ(ドクダミ科)が印象に残った。

ジョヴァンニ好みは「木の実 草の実」だ。2年前の作品だが、作者が今年も描いたバイモをはじめヘクソカズラ(アカネ科)など6種の実で構成されたコンポジションだ。その構成を見ているだけで楽しくなる。

大作も展示されていた。「春夏秋冬」は文字通り四季おりおりの草花を並べて描いたものだが、横幅が1メートルもある。一番右端の「冬」から始めて、左端に戻り「春」「夏」「秋」の順番に描いていったそうだ。もちろん制作には1年

間かかるわけだ。松本千鶴の作品は小品が多いが、このような大作も味わい深いものがある。

     茅ヶ崎市美術館常設展

同じ美術館の「秋季常設展」を観た。会場に入るとすぐ水越茅村(ぼうそん)の巨大な墨絵「如是」があった。実はご子息がやはり私たちと同級生なのだ。「前衛書道」とか「墨象」、「抽象書道」などと呼ばれているジャンルの作品だ。ジョヴァンニ好みなのでしばし見ていた。「何が書いてあるかわからない」という鑑賞者に対し水越茅村の残した言葉が興味深い。「要は作品が何を語ろうとしているかを心むなしくして聞くのがよい」というのだ。心むなしくして「観る」ではなく「聞く」というのがミソだ。水越茅村は美術作品のなかに音楽的な要素を感じ取って欲しいと言ったのであろうか。

他には松本千鶴が「とても上手な木版画家の作品がある」と教えてくれた柄澤齋(からさわ・ひとし)のシュールな3作品が印象に残った。「マルセル・プルースト」、「イジドール・デュカス」、「テオドール・ジェリコー」の3人の巨匠を描いたものだが、中でもデュカスの肖像が面白かった。

閉館後、松本千鶴、水越茅村のご子息、私のほか駆けつけた同級生を含め5人で「里芋」で打ち上げた。開業1年の店だがおおはやりで予約しないと入れなかった。期待通りの食べ物と酒・・・。昔の仲間はいいなあ。

アートスコープ 2005/2006

Photo_2 ■アートスコープ

「アートスコープ 2005/2006--- インターフェース・コンプレックス(原美術館)に行った。動機は一つ、出展者4人の誰も知らないから。こういうのは宝探しのようなスリルがあってわくわくする。面白い作家や作品に出会った時の充実感はまことに得がたい。逆に思惑から外れた時の落胆度も大きいのだが、それは必要なリスクと割り切っている。そういう意味でアート観賞のなかでも「ハイリスク・ハイリターン」の観賞方法と言えるかもしれない。

この展覧会は、日独2名づつのアーティストがそれぞれ相手国に滞在中に体験して得たことを作品に昇華させるという企画だ。それまで培ったものに異文化のエキスをミックスしたらどうなるか、と考えると興味深い。残念ながら全体としては面白みに欠けたが、新鮮なオーラを発している作品にも出会えたので、収穫はあった。

最も面白かったのは名和晃平(なわ・こうへい)の「Air Cell – A」ならびに「Air Cell – B」の対となった作品だ。アクリルであろうか、透明な四角い箱の中に水泡がたくさん並んでいる。よく見ると縦横に規則正しく配列されているので、真上や真横から見ると複数の水泡が重なり、一つの点に見える。それから少し目をずらすと、いきなり混沌とした世界が広がる。水泡の配列が規則性を失い、バラバラになったかに見えるのだ。そしてさらに目を移動してゆくと、こんどはまた一列縦隊に並びなおす、といった具合だ。また斜めから見ても一列に並ぶ角度があり、それも新鮮な驚きを与える。作りは非常にシンプルだが、そこから複雑な文様を得るというタイプの作品だ。

森弘治(もり・ひろはる)の「美術のための応援」には笑ってしまった。上智大学の応援団が呼ばれて演じたフィルムの上映なのだが、最後に「フレー、フレー、芸術」と叫ぶのがなんとも不可思議な世界だ。メンバーを変えて3回繰り返されるのだが、3回目はどうも作者の演出によるものではないかと思った。間の取り方やリズムがどうも普通の応援と違うんだな。

ゲオルグ・ヴィンターの「東京クララ・シューマン・ラジオ放送局」はこんなインスタレーションもあったのか、と参考になった。原美術館の裏庭を眺めながらヘッドフォンを耳に当てるとシューマンの歌曲集「リーダークライス」の「ある城で」らしき旋律が流れてきた。しかしその中には風のそよぐ音などが混ざっている。庭の木々を風が通りぬける時に発する音とイメージが重なって面白い。

カーチャ・シュトルンツの「恐怖への招待」は打楽器の形をした金属が数多く置かれてそこに音楽が流れているというインスタレーションだ。何が恐怖かわからなかったが、何となく面白かった。もう1つの作品「昨日のこだま」は同じ打楽器状のオブジェを映した映像作品だが、何となく昔の武力交渉を想起させるようだった。そのような説明書きは全く無かったが、強いメッセージが込められているように感じたのだ。

全体として、入場料千円に対し多少不満足ではあったが、リスクの範囲と考えよう。面白いものにも出会えたのでよしとしよう。

2006年10月 3日 (火)

復刻:水琴窟(すいきんくつ)?

過去データ消失のショックがまだ残っているが、いつまでもくよくよしていても仕方ないので、幸いにも保存してあった日記データを復刻しようと思った。ブログを始めたのは去年の7月24日(日)で、この日を「第1ブログ記念日」とした。ちなみに「第2ブログ記念日」は昨日(10月2日(月))だ。日記本文が残っている中で最も古い日付は去年の8月19日だった。ブログを開始してから1カ月ぐらい経った時のものだ。

<復刻ジョヴァンニッキ> 2005年8月19日(日)

午後5時を過ぎ多少は暑さが和らいだので犬の散歩に出かけた。いつものコースを辿り、H川沿いの散歩道に出たが、そこで奇妙な体験をすることになった。このH川というのは面白い川で、夕方になると満潮のため逆流するのである。その際、上流に向かった流れがチャポン、チャポンという音を立てるのがなかなか一興なのである。しかし今日は一味違って、「ボビン、ビン・・・」という半ば金属音のような深みのある音が聴こえてきたのである。これはどこかで聴いたことがあるな。そうだ「水琴窟(すいきんくつ)」だ。あれれ何でこのH川に水琴窟があるんだろう?と不思議に思っていた。すると川沿いの小さな公園にたどり着き、そこでこの「水琴窟」の正体を見たのである。

遊園地にはブランコ、滑り台、そして梯子をアーチ型に曲げたような形の遊具がよく設置されている。このアーチ型の遊具を数人の子供達が捕虫網の柄で叩いていたのである。なあんだ馬鹿みたいだ、と馬鹿にされそうな話だが私には本当に水琴窟の音に聴こえたから仕方がない。あまり暑かったので無意識に水琴窟の音色に涼を求めたのかもしれない。そのうちどこかで本物の水琴窟の美しい音色を聴いてみたいものだ。

2006年10月 2日 (月)

ジョヴァンニッキ(再)復活

1週間中断し、さらに紆余曲折があったが、ジョヴァンニッキを再スタートすることができた。いろいろあって昨日仮に立ち上げたプランを少しだけ変更して再登録した。そのため本日(10月2日)がブログ再スタート記念日となった。

しかし1年半の過去データがすべて消失したのは痛かったな。図表など自分で手造りしたものはファイルが残っているが、本文は大半を失ってしまった。皆さんも自宅のプロバイダを変更する時はよく注意してくださいね。

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