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2006年8月 6日 (日)

「ヨロヨロン」束芋

__14 原美術館の「『ヨロヨロン』束芋」を観に行った。トップランナーで紹介されたので若者が押し寄せると読み、比較的空いているであろう午前中を選んだ。読みは的中し、昼前だというのにもう混みあっていた。大画面の展示室は列ができ1回待ちだったし、小画面の展示も少し待たないと観ることができなかった。美大でビリから一念発起し旬のアーティストに昇りつめたのがカッコいいのだろう。それを広く知らしめるテレビの力恐るべし、というわけか。

__15 実際に作品を鑑賞してみたら確かに面白かった。それも理屈抜きで楽しめる内容だ。随所にブラックユーモアが散りばめられているが、それらが難しい講釈を必要とせずにストレートに受け止められるのが嬉しい。一見「日常の中に潜む恐怖」などのお決まりのせりふが出てきそうな作品が多い。しかし、それらはむしろ「異世界から日常に持ち込まれた恐怖」という方が正確だと思う。あるいは「日常生活における無関心の恐怖」と言い換えられるかもしれない。スクリーン(あるいは壁)を台形状に三面に配置し、遠近法の透視図法のようなセッティングで映写されるアニメーション作品は臨場感を伴い迫力がある。「日本の台所」、「公衆便女」は大画面で楽しめた。「日本の横断歩道」、「日本の通勤快速」、「ユメ・ニッキ・ニッポン」、「湯屋(男湯)」、「お化け屋敷」は小画面で残念だったが、ほぼ全て観終わり、束芋作品の全貌を知ることができて良かった。

Photo_15 ところで遠近法というと思い出す本がある。「美・混迷と創造-日本画の冒険者たち」(吉村貞司著・六興出版)だ。同書には「西洋遠近法では地平線上の一点を頂点として、画家に向かって拡がっている四角錐を、垂直に切り落とした、その切断面が画面になる。従って遠近法空間は、四角錐の内部だけで成立する。」と書いてある。

続いて「外部にあるものは、画面に取り込むことができない」と、西洋遠近法の欠点ともいえる特徴を指摘している。さらに「言葉を変えたら、四角錐の横幅を超えて、横に拡がることもできないし、また縦幅を超えて上下に拡がることもできない。つまり遠近法の能力は奥行の描写力に限られるのであって無限の水平の拡がり、あるいは無限の高さ、深さの表現に無力であることが理解できよう。」と追い討ちをかけている。

これに続いて日本画の西洋画に対する優位点なるものを打ち出している。引用すると「近代日本画は西洋遠近法の水平を超えて、無限の拡がりを完成した。」というわけだ。同書は1976年初版発行である。当時は李禹煥などのもの派(コンセプチュアル・アートの一派)をはじめ、アングラ、スーパー・リアリズム(上田薫)など西洋美術に色濃く影響されたアーティストが幅をきかせていた時期であり、著者としても日本画の復権を願うあまり日本画の優位性という点を「むきになって」追い求めたのであろう。

束芋の三画面を用いた作品群は、上記の「西洋遠近法の空間的閉塞性」にあえて舞い戻っている点で興味深い。一方、展示作品を仔細に観ると、伝統的な日本美術からの引用が目につく。例えば「日本の横断歩道」では、横断歩道の縞模様が浮世絵の波表現に置き換えられている。そのような表現が(「日本の・・・」)と呼応して「私の作品は日本的ですよ」と自らのDNAを表明しているのだ。それにもかかわらず、その構成は、逆に「閉塞感」を伴う西洋遠近法を採用しているという矛盾が、一種の「眩暈(めまい)」を呼び起こすことになるのかもしれない

展示作品の中には、もともとこの「閉塞性」を感じさせるセッティングとなっているものが多い。台所、便所、電車、銭湯などがそうだ。その閉鎖空間の中で起こる「事件」は、しかし外部世界ともつながりを保っている。例えば「日本の台所」では他室で起きる飛び降り自殺、「公衆便女」に放たれる盗撮の蛾、「通勤快速」ににぎり寿司を置く板さん、「日本の湯屋(男湯)」に乱入(?)する警察官などである。こう見てゆくと、束芋はこの「わざと設定した閉鎖空間」に「外界」を関連させて強調するという、戦術を用いているのかと思われてくる。

いや、そう考えたほうが話が早い。つまりまず舞台設定により観賞者はこの閉鎖空間の中に取り込まれる。多少の不安を抱えながら画面に映る作品に引き込まれてゆく。そのうち内容の面白さとあいまってこの閉鎖空間に馴染んでくると、こんどは逆に外界からの乱入者により覚醒させられる。そこに新鮮な驚きと愉しみを味わう・・・、この連続というわけだ。束芋はこの辺の事情を計算したのであろうか。したたかな戦略だ。

以上と異なるタイプの作品も楽しめた。寸評は次のとおりだ。

人間の指と昆虫が合体したシュールなドローイングはその達者さに驚いた。この技術で美大ビリとは、美大はみな優秀なんだなと思う。

「真夜中の海」の不気味さは、モノクローム作品だけに一層強調されていたようだ。1階の展示室では覗き穴から、2階の展示室では上から見下ろすという設定(同一作品を複数個所から観賞できるように配置する)は面白いアイデアだと思った。

裸の男性の背中に施された刺青の花弁がひらひらと落ちてゆき、最後にはその男性の体も崩壊するという作品もアイデアに富んでいて良かった。途中、鯉が泳ぎまわったり烏が飛来したりと、随所に挿入された侠雑物もよく工夫されていた。

これが旬のアーティストの作品なのかと納得し、楽しんだだけでなく併設の「カフェ・ダール」でパスタとワインまで楽しんでしまった。充実してよい日だった。

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