« 吉原治良展 | トップページ | BAU HAUS 1923 »

2006年7月23日 (日)

エドゥアルド・チリーダ展

__21スペインの生んだ20世紀彫刻の情熱 エドゥアルド・チリーダ」(神奈川県立近代美術館)に行った。抽象彫刻が大好きだが、ここしばらく平面作品を観る機会が続いたので、久しぶりに彫刻に会いたくなったのだ。チリーダの作品を観て次の点を感じ取った。1.鉄の作品は大きい方が良い。2.素材の個性を良く活かしている。3デッサンが素晴らしい。

上記1.の「鉄の作品は大きい方が良い」は私の主義主張に反する意見なので自己矛盾を感じるが、あえて打ち出した。今回の展示物はさほど大きくないものばかりであった。この理由は明白で、巨大な作品は輸送が困難だからである。それを補うため、パネルの写真などで巨大彫刻が紹介されていた。展示会場にはその縮小レプリカというか、小型版の作品が展示されていた。これらは相似形であるが、私はパネルで見る巨大作品(バーチャル)のほうが目の前にある小型版の作品(本物)より味わいが深いと感じた。私は形状とか構成そのものを重んじるので、相似形であればサイズは問わないという主義であるが、今度ばかりは自分の主義を曲げなければならなくなった。チリーダ作品は、どうも大きいほうが似合うのである。(チラシの写真<風の櫛>がその例。)

上記2.の「素材の個性を良く活かしている」は論より証拠だ。様々な素材で造られた作品を並べてみると、その個性が素材の個性と一体になっていることが感じ取れる。

__17 「空間の転調」は鉄の作品だ。「転調」と音楽の名前が付けられているのがいいなあ。最初考えすぎて、これはアルファベットの文字(音名で用いるA,B,C,D,E,F,G,Hの一つ)がねじれてゆくに従い他の文字(音名)に変化してゆく、つまり転調してゆくという構成になっていると思ったのだ。でもひねって考えすぎたらしい。

_g85_1 「土」は文字通りテラコッタの作品だ。表面に深く刻まれた線刻はキリストの磔刑であろうか?単純な線ながら実に見事に描いている。土という素材とのマッチングもぴったりだ。またその色も素朴な味わいを深めている。そう考えると、この磔刑図はシリアスなものではなく、民話調にやわらかくモディファイされているのであろう。

__19 「異端の建築」は、やはり名称がいい。素材は大理石であろう。「異端」にはちょっと心騒

がされるものがある。「ダヴィンチ・コード」ではないが、宗教的弾圧のにおいがする。しかしここでは宗教的あるいはシュール的な内容はどちらも顔を出さず、純粋造形の作品として成り立っている。あいまいさを寄せ付けない幾何学的な形態と、すべすべした触感の大理石とがよくマッチしている。

「重力」は面白い作品だ。素材は紙。その軽い紙が重ねられ、上から紐で吊り下げられている。「紙のように軽いものにも重力は宿る」などと格好つけたくなる。

__20 上記3.の「デッサンが素晴らしい」は実際に間近に作品を観ると感じられる。例えば「人物」は一人の人物が片膝を立てたような格好でいるところをデッサンしたものらしいが、首から上を描いていないにもかかわらず、人物であるとわかるだけでなく全体バランスも良い。ずっしりと安定していると同時に少し傾いている分だけ動きも感じられる。線そのものも味があって好ましい。

帰り際に美術館に隣接した池を見に行くと、階段下の三角形状の空間に李禹煥(リ・ウファン)の「項」という作品を見つけた。これまで何回も行った場所なのに気がつかなかったのは、階段下に置かれていたからだろう。これでは作品がかわいそうだと思った。李禹煥の作品はコンサプチュアルである分、作品そのものに加え周囲の空間も重要だ。階段下だと作品の真上の空間が制限され、せせこましい感じになっている。もっと広い空間に開放してやりたい。

帰路、小町通りの途中にある杉養蜂園に立ち寄り210円のはちみつ入りソフトクリームを求めた。疲れたので体が甘い物を要求していたのだろう。それともチリーダの鉄や李禹煥の石を観すぎたので柔らかい物に自然と反応したのだろうか。充実した日だった。

« 吉原治良展 | トップページ | BAU HAUS 1923 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/163862/3998098

この記事へのトラックバック一覧です: エドゥアルド・チリーダ展:

« 吉原治良展 | トップページ | BAU HAUS 1923 »

最近のトラックバック