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2006年4月19日 (水)

アンコールその9:クバール・スピアン

バンテアイ・スレイを後に、ポル・ポト派居住地区に近づき標識も何もない交差点を左折。駐車場にバンが停まると後ほど立ち寄る休憩所があった。草ぶきで建物というよりバス停留所の待合所というたたずまいで、なるほど思いっきり田舎だ。土産物を手に子供たちが押し寄せてくる。目的地の「クバール・スピアン」まではここからは山道を歩くのだ。今は買い物ができないというと、後で買ってと大合唱。

子供達の声に送られて細い道を行くと、両側に並ぶ木々には所々にペンキで赤い印が付けられていた。これは地雷が未撤去だから注意せよという意味らしい。現地人ガイドによると、道から外れなければ安全だとか。それにしても気味が悪い。しかし段々と慣れてくるから不思議だ。

上り坂に差し掛かるあたりに渓流があり、小さな木製の橋がかかっている。するとその下に蝶の群れを見た。アゲハ蝶のようにみえたが濃い茶色をしている。日本の黒揚羽とは種類がだいぶ異なるらしい。残念ながらあまり詩情は感じられなかった。数が多いせいだろうか。たぶん一羽か二羽の蝶であれば、俳句でもひねりたくなったかもしれない。そう言えば詩歌は両極端だ。例えば、蕪村の「五月雨や大河の前に家二軒」なら感応できるが、これが「大きな川の前のタウンハウス100世帯」ではいただけない。なぜだろう?自然の猛威を前に寄りそうように建っている二軒は、小さく、弱いものを愛でる日本人の心に響くからだろう。

ところが、逆に多数の詩情も存在する。山村暮鳥の「風景」が好例だ。9×3=27行のうち、なんと3行を除く24行が「いちめんのなのはな」の繰り返しなのだから。音楽だと特殊な繰り返し記号を考案しないといけないな。これは何と説明すればよいのか。「圧倒する美」とでも呼ぼうか。しまった激しく脱線してしまった。これが山道だったら地雷とお友達になってしまう。元に戻ろう。

途中、あちこちに巨石が転がっており、そのうちの一つが蛙に似ていた。現地人ガイドはその岩を蛙と呼んでいた。中腹に木を組合わせた台のようなものが見えた。何だろうと思ったら、観光客を像に乗せるための台座だという。しかしここしばらくそのサービスは途絶えているとのこと。こんな山の中まで像が人を乗せて登っていたのかと驚いた。像も難儀だったことだろう。坂もあまり緩やかではなかったし。でもなぜ中止されてしまったのだろうか。たぶん地雷だろう。像も犠牲になったのかもしれない。悲しくなった。

気を取り直してさらに登ると、やがて清流が近寄ってきて爽やかに感じてきた。思い出して戴きたいのは、ここは暑いということだ。ペットボトルを大事に抱えながら汗だくで坂道を登ってきたので疲れた。でもこの渓流を見たら元気が戻ってきた。やがて水が枯れた滝の前に出た。乾季なので水量が少ないのだ。雨季には立派な水しぶきが観賞できるらしい。この辺りから岩にシヴァ神など様々な彫刻が施された一画に入る。こんな山奥にまで彫刻を残すエネルギーはすさまじいと思った。よほど宗教心が強いか、王侯貴族の権力が強かったか、あるいはその両方であろう。少し広い池があり、そこで山道は行き止まりとなっている。切り株の椅子やハンモックなど、観光客のためのグッズが作られている。そこから折り返し、少し違ったコースを通って帰途についた。

駐車場の脇の休憩所に戻ると日本式の「弁当」が私たちを待っていた。土産売りの子たちはじっと待っているが、小さい子供は時々ちょっかいをかけに来る。そのうち私の次男が先に弁当を食べ終え、子供たちの群れに入ってゆく。息子は多少英語ができるが、果たして通じているのだろうか。10分ぐらいして戻ってきた息子に聞いてみると、言語というより身振り手振りでどうにか通じたらしい。結果的には息子は何も買わなかった。それでもまとまった時間を土産売りの子供達と共有するというコミュニケーション能力は、子供のほうが高いのだろう。私だったら、もし何も買う意思がないと悟られたら離れていってしまうだろうか。

ここはまた来てみたい。そう簡単には開発が進まないだろうから、いつまでも田舎の良さを残し、渓流の美しさも楽しめる。そういう場所だ。治安面で危険だから現地人ガイドについてもらうことは必要だろうけど、できれば独力で切り開いてゆきたいところだ。(と意気込んでも、命が惜しいから実際はやらないけど。)

2006年4月15日 (土)

弦楽四重奏の選曲会議

弦楽四重奏仲間で単に遊んで弾いているかのような「練習」を終え、いつもの居酒屋へ。その席で第二ヴァイオリンのJ君が「提案」を出してきた。「みんな齢を重ねると体力が減退し、今弾ける曲も出来なくなってくるだろう。だから、やりたい曲を厳選して計画的に仕上げ、コンサートなどの形に残してゆこう。」というのだ。そして具体案まで提示した。

[原則(案)]

1.      むこう5年間、年2回1曲づつやる。そうすると合計10曲できる。逆に言えば、やりたい曲はたくさんあるのに、たった10曲しか出来ない!

2.      全楽章を必ずやる。いままで全楽章をきちんと弾いた試しがない。

3.      作曲家毎に1曲選ぶ

4.      毎回のコンサートのプログラムは、弦楽四重奏曲1曲をメインプログラムに据え、ピアニストなどゲストを加えた五重奏曲などをサブプログラムに加える。また部分的には弾きたいが全楽章はちょっと・・・という曲はアンコールとして特別に弾きたい部分(楽章)を演奏する。

というわけなのだが、その後具体的な曲目選定の議論になった。これが紛糾して面白かったんだな。

[曲目選定会議の経過](★:決定、★(?):ほぼ決定、■:二者択一、▲:有力候補)

弦楽四重奏曲の部

     バッハ:ジョヴァンニが大好きな「フーガの技法」は没になりそうだな。

     ハイドン:あまり曲が多いのでまとまらなかった。

     モーツアルト:当初ジョヴァンニから、聴き手も楽しめ、弾くのも易しいという安全策として「狩」を提唱したが、もっといい曲をやりたいという積極策が多勢となり没。それならとジョヴァンニ積極案でK.421ニ短調をやりたいと言ったら「暗い」という理由で反対意見多数が多く没。ヴィオラのT君がジョヴァンニ厚遇でK575プロシア王の1番ニ長調(注:チェロが活躍する)と言ってくれたが難しいので私は自分から没にした。それならばと、誰かが★(?)K387ハイドンセットの1番ト長調と言って、どうもこれが落としどころになりそうだった。

     メンデルスゾーン:ジョヴァンニが4番ホ短調と言ったが誰も聞いてなかった。★1番の「カンツォネッタ」をアンコールピースにすることになりそうだ。

     ベートーヴェン:現在★「ラズモフスキー第3番」を練習中だからそれに決め。本当は晩年の作品をやりたいが、とうてい弾けないから断念する。

     ブラームス:3番は全員一致で没。1番か2番で票が2対2に割れた。ちなみにジョヴァンニは1番に一票。決着がつかぬままお開き。

     ボロディン:第二ヴァイオリンのJ君がマニアックに1番と言うのでみんなあきれた。じゃあ2番か、ということになるが全楽章をやる意味がないんじゃない?という意見が多数で、★カヴァティーナだけを取り上げアンコール向けにすることに決定。

     グリーグ:地域別にみるとドイツ・オーストリア偏重なので他の国に広げようという議論で浮上。やるとしたら有名なト短調かな。ジョヴァンニが知ったかぶりしてもう1曲無名のヘ長調があるよと言ったが、実際にはさらにニ短調なる作品があり全3曲だった。

     スメタナ:有名な▲1番「わが生涯より」をみんながヴィオラのT君に「弾きたいだろう?」と押し付けた。(注:冒頭でヴィオラが活躍する)

     ドヴォルジャーク:★「アメリカ」全楽章をやることに決まったみたいだ。(酔っていてよく覚えていないが)

     プフィッツナー:ジョヴァンニが口走ったが、みんな無視。

     レーガー:ジョヴァンニが口走ったが、みんな無視。

     チャイコフスキー:★「アンダンテ・カンタービレ」をアンコールピースにすることで全員一致。

     ショスタコーヴィッチ:ヴィオラのT君が8番と言ったがみんな沈黙。ピアノ五重奏曲に鞍替えすることにした。

     フォーレ:ジョヴァンニが全楽章を提唱したが追随者なし。

     ラヴェル:フランスものでドビュッシーとどちらかな?という議論になった。ジョヴァンニはドビュッシーだが他のメンバは結構ラヴェルが好きらしい。▲候補。

     ドビュッシー:ジョヴァンニが大好きな曲。▲候補にはなっている。バルトーク:技術的見地から消去法で▲1番しか残らない。議論の余地があるとすれば、要するにやるかやらないかのみ。

     シェーンベルク:ジョヴァンニが大好きなことをヴィオラのT君が知っていて言及してくれたが技術的に難があり私自ら没宣言。

     ヴェーベルン:第二ヴァイオリンのJ君がマニアック提案をしたが追随者なく没。

まだ出たかな?酔っ払って忘れた・・・。

2006年4月 6日 (木)

アンコールその8:バンテアイ・スレイ

アンコールその6「村の生活」で山の中の「クバール・スピヤン」に足を延ばしたことを書いた。その途中で立ち寄ったのが「バンテアイ・スレイ」だ。別名「女の砦」と呼ばれ「東洋のモナリザ」と称される「デバター」像が見られる美しい遺跡だ。アンドレ・マルローが盗掘を企てたというほど人を引き付ける姿だそうだ。この辺はガイドブックに情報が満載だから、あえここで書かなくてもいいかな。

_005 私はむしろ塔の造りが気に行ったのでスケッチを残した。うっ、何だこれは。上部と下部を描いた視点がずれている。さすがキュービズム信者のジョヴァンニだな。わざとずらしたんだな、というのは嘘で、描いているうちにずれちゃったんだよ。

しかしこの塔は複雑な形をしているなあ。大小様々な石と赤煉瓦が積みあげられているのだが、手前へ出っ張ったり奥へ引っ込んだりして精密な形態を構成している。それでいて全体像をぼうっと眺めると、それなりに美しい形を保っている。見事な建築だ。あいにく雨に合ってしまったんだが、赤煉瓦が水に洗われて美しく光ったのでむしろ幸運だった。乾季でも降る時は降るんだな。この遺跡は比較的小規模なので全体をくまなく見て回ることができた。最後に水をたたえた堀を巡って仕上げとしたが、なかなか魅力的なスポットだった。

2006年4月 2日 (日)

損保ジャパン 選抜奨励展

__3025回損保ジャパン美術財団 選抜奨励展」(損保ジャパン東郷青児美術館)に行った。いやあ良かったなあ。期待をはるかに上回る面白さだった。まだ定評を得ていないアーティストの作品を鑑賞し、(生意気ではあるが)その評価を試みて専門家の評価と比べるという行為は楽しい。結果が同じなら自信につながるし、異なってもその差異を吟味し、勉強になると同時に新たな発見があるから。まずは記録保持のため、専門家の審査結果との評価の比較をまとめてみた。

【平面作品部門】

損保ジャパン美術賞   岩岡航路     「南島・鮫池・忍」

秀作賞                安富洋貴    「僕に至る隔たり」

同                  榎本香菜子   「最後の個体」

同                   樫原隆男    「イエローウイング」

ジョヴァンニ最優秀賞 大波天久     「鎮守の杜」

秀作賞         中山智介      「寡黙と饒舌の間から」

同          幡谷フミ子    「樹相-おのがまにまに」

同          深見まさ子    「隔(大地の響)」

【立体作品部門】

新作優秀賞      白石泰明      「海楼(かいろう)」

新作秀作賞      ますみつ三知子「LIFE 05 LIFE

ジョヴァンニ最優秀賞 ますみつ三知子「LIFE 05 LIFE」

秀作賞        白石泰明       「海楼(かいろう)」

立体のほうは1位と2位が逆になってはいるが、専門家審査とジョヴァンニ評とが同じ結果になっている。しかし平面のほうは、上位4作品がすべて異なるという隔たりとなった。別に奇をてらったつもりはない。ただ自分に正直に書いてみただけだ。私は政治的・社会的・宗教的メッセージを含む作品を好まないので榎本作品は敬意を表しつつも除外した。また、岩岡・安富両作品とも好きな心象風景でかつ高水準だとは認めるが、心象風景は幡谷作品のほうに軍配を上げたくなっただけだ。樫原作品は好きな抽象的構成感があり良かったが、構成の点では大波、中山、深見作品を採りたい。いずれにしても以上の評価は微差だ。ジョヴァンニが好んだ作品の記録をしておく。

__31 大波天久の「鎮守の杜」は旧来の分類だと「墨絵」ということになるんだろう。しかしその形態はモダンだ。サインもアルファベットで書かれている。隣の朱肉印が東洋的だからそのコントラストが面白い。サインと印だけでなく、作品全体が東洋・西洋の両方のエッセンスを混成させたようだ。ハイブリッド造形とでも名付けようか。上のほうに見える雲のようなものはマルセル・デュシャンの名作「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス)」に描かれた物体によく似た形をしている。もしかしてデュシャンを意識したのか? 墨絵なので全体的に黒が基調だが真ん中に置かれたうす紫色の円環が印象的で作品全体を引き締めている。墨をベタっと塗った戸、墨を飛ばしたような所、いろいろあるがそれらの総合的な構成が実に見事だ。文句なくジョヴァンニ最優秀賞だ。

___4 幡谷フミ子の「樹相-おのがまにまに」は悲しい風景だ。冬だろうか。葉を落とし小枝が露になった木が二本。一つは白く、もう一本はうす茶色をしている。それとは別に影のような木が二、三本重なり合いながら白と茶色の木にまとわりついている。それらの形態は互いに重なり合い、互いに自己を主張し合い、あるいは調和しながら佇んでいる。一方、地面(あるいは湖面?)にはこれらの木々の影が映っている。影の木も地面に影を落としている。このように、実体と影と「影の影」が織り成すハーモニーが作品全体を支配している。しかし騒然とせず、逆に画面はしんと静まりかえっている。怖ろしいほどの静けさだ。作者は長い間病魔におかされていたという。なんという作品だろう。力強さと脆弱さとが自然に同居しており、矛盾を全く感じない

ジョヴァンニ賞に選外となったが気になった作品を記録しておこう。

___ 岩岡航路の「南島・鮫池・忍」(損保ジャパン美術賞)は、さすが最優秀の賞を獲得しただけあって素晴らしい作品だった。小笠原諸島にある南島の断崖絶壁に若い女性が後ろ向きに佇んで、入り江の先につながる海のほうを見ている。それだけなら単なる写実画だが、女性と断崖の間に折れ曲がった三面屏風のようなついたてが宙に浮いている。一番左の面には小笠原諸島の地図が描かれている。真ん中の面は四角く切り抜かれて向こう側の入り江が見える。右側の面にはモノクロームの女性の写真か絵が見える。二人の女性は同一人物だろうか?それはわからない。ただ髪の毛が風になびく様子などを細かく見ると、鏡面映像ではないことだけわかる。だから同一人物なら、違う時期の、異なる場所での像であろう。このての作品には、時にシュール的な仕掛けが施される場合がある。例えば、ついたての真ん中の面(くり抜かれて向こうが側が見える)とついたての外に見える風景が別の場所を映し、異次元に迷いこんだ感じを醸し出すなどの手法だ。しかし岩岡作品はそのようなカラクリを用いず、風景はずっしりと自然のまま置かれている。超現実的なのは間に浮くついたてだけだ。そのついたても、慣れてくるとさほど違和感がない。不必要な細工をせず、メリハリの効いた見せ方によって心象風景を完成させている岩岡作品は、なるほど最優秀に推されるだけのことはあると思った。

__32 榎本香菜子の「最後の個体」(損保ジャパン秀作賞)は、社会的メッセージがあるからジョヴァンニ賞から除外したと書いた。しかしその訴える力は大きい。湖か海か迷うが水面が広がり、その手前に広い草原がある。そこに木の枝が三本組まれている。その下には鳥の卵らしきものが多数置かれている。これが1914年に絶滅したリョコウバトの卵だという解説だ。それだけでも何やら心騒がされる感じだが、キャンバスの上にはみ出した三角形状の屋根のような部分にオブジェみたいな物が置かれている。よく見ると鳥のように見える。これが死滅したリョコウバトの姿を表していることは明白だ。しかし私としてはこの鳥の姿は余計な付け足しに見えてならない。仮にこの部分が無く、旧来の四角いキャンバスに卵だけが描かれていても、それで同じメッセージを送れないだろうか? 感性の鋭い鑑賞者だったら、草原にさびしく放置された卵を見て絶滅などが暗示されていると読み取るのではないだろうか? その辺の意見は抱いたが、作品としては立派であり、訴求力に富んだ秀作だと思った。

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