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2006年3月29日 (水)

アンコール番外編:クアラルンプール

今回のカンボジア旅行はクアラルンプール経由だった。夕方ホテルへ着き一泊しただけで翌朝カンボジアへ向ったので短い滞在だったが、いろいろ興味深い観察ができた。

♪原生林? 植林

?

クアラルンプールの空港を出るとすぐ高速道路に入り街の中心へと向かう。料金所を抜けたらしばらくの間は棕櫚(しゅろ)のような樹木の森の中を抜けて行った。この森が原生林なのか、それとも植樹したのかを息子と議論した。息子は木々が直線上にほぼ等間隔に並んでいるので植林だと言う。そう言えばそう見える。しかし行けども行けども深い森で、こんなに多くの樹を植えることができたのだろうかと疑問に思った。不精で調査をしていないため、この疑問は未解決のままである。

♪鳥がいない

!

不思議に思ったのは、こんなに木が多いのに鳥が一羽も姿を見せなかったことだ。鳥だけでなく、栗鼠のような小動物も見かけなかった。いったいこの棕櫚の森はどうなっているんだろう? 翌朝、再び同じコースで空港に向かった際、空港まであと5分ぐらいの所でやっと鳥が飛んでいるのを発見。4,5羽が追いかけっこをしているかのように戯れていた。それにしても、これも大きな謎を残した。

♪不動産ラッシュ

 

空港から街中までは車で1時間。時速100kmぐらい出ていたから距離は約100kmだ。これを便宜上3等分する。空港から最初の3分の1、つまり約33kmの間は棕櫚の森だ。次の3分の1の区間ではマンションの新築ラッシュだった。中心街から車で2040分の距離だから通勤にも便利だ。マレーシアの建築工法はどの建物も似ており、まず柱と床だけで上層階まで建て、その後で外壁と窓を付けてゆく。

沿道のあちらこちらで、この裸の建造物が見られた。そしてそのすぐ近くには走る車からでも良く見えるほど大きい不動産の広告板が乱立している。そしてこの地域は近くベッドタウンとして発展することだろう。同時に棕櫚の森も切り開かれ、自然破壊も進むことだろう。これが東京のような一極集中で人口増加が著しいクアラルンプールの宿命なのだろうか。

というわけで、アンコール遺跡への前哨戦のような形でクアラルンプールの空港と市街地の間の旅を楽しんだ。

2006年3月26日 (日)

アンコールその7:バイヨン寺院のレリーフ

アンコール・トムの中央にある「バイヨン寺院」はレリーフの宝庫だ。ここでは下手だけどスケッチに挑戦した。ガイド付きツアーなのでどんどん先に進むから気に入ったレリーフがあっても、そこに長時間張り付くことができない。これが下手な言い訳なんだけど・・・。ちゃんとした図像を見たい人はガイドブックか何かを見てください。たぶんここに書いたものは載っていると思います。

Hapusura まずは蓮の花の上で体をくねらせて踊る「アプサラ」。スケッチには「ハプスラ」と書いてあるけど、これはガイドさんの説明を聞き間違えたのだ。面白いからそのまま残しておいた。でもこの女性の素性はどうも曖昧で困る。ガイドはアプサラ(天女)だと言ったが、別の情報では「デバータ」とか「デヴァタ」とかいう女神だとしている。この天女(女神)は地上と神々の住む天上とを行き来することができ、天上では神々を喜ばせるために踊るとか。しかしこのスケッチは我ながら下手だな。顔なんかちょっと凄みをきかせた男に見える。美人の天女なのにね。髪の毛なんか爆発して当世風だ。

Ikenie_no_ushi 次は「生贄にされる牛」。水牛の血を飲むと戦争に勝つという迷信のため犠牲になる水牛だ。殺される運命にある牛の悲しそうな顔を描いたつもりだが、娘から「カーワイイ!」と言われてしまった。このレリーフの特徴的なことは、正面を向いていることだ。他の人物・動物像はみな横向きである。エジプトの壁画のようだ。なぜこの牛だけ正面を向いているんだろう?生贄の犠牲という点を強調し、インパクトを与えるためだろうか?確かに壁面全体を眼で追ってみると、この像だけが際立って見える。

Senshi_no_yokogao では人物像は?ということで「戦士の横顔」。なるほど横向きだ。「ヘルメット」と書いてあるが、これはガイドさんからヘルメットをかぶっていると説明を受けたからだ。うーん顔がちょっと太めになったかな。人物像は眼、耳、口に特徴がある。この下手なスケッチではとうていその差異がわからないから、興味ある人はガイドブックを見てください。なお戦士は必ず群像だ。日本の一騎打ちみたいなことは無かったらしい。集団戦ということだ。

Hospital 戦争があると負傷兵が帰還し「病院」に収容される。これも悲しくなるほど下手なスケッチだが、一応屋根と負傷者と介抱する看護師らしきものが見えると思う。看護師の頭の形は戦士にそっくりだ。もっとも戦士はヘルメットをかぶっているので、その点だけが異なるが。レリーフに現れる人物像は一般的に頭は四角ばって大きめだ。興味深いのは、レリーフが神々、大王、戦士など威信を表すものだけでなく、この病院のように風俗習慣を垣間見せる社会生活も活写していることだ。このあたりは、アンコール遺跡を建てた代々の王が人々の生活面までを含めた全体的な思想を持ち、それをレリーフに表明したと考えられる。

Kaibutsu シュールやマニエリスム好きの人寄っといで!「怪物」だよ。右に「おさえられている」と書いたけど、これは下にうずくまった人間の上に怪物が覆いかぶさっている怖い場面なんだ。怪物が蛙みたいに見えるので、この下手スケッチではそんなに怖くないと思うけど・・・。いずれにしても、こういう「きわもの」もレリーフになっているんだ。でもこの怪物はトラだという解説もあった。実物を見た限りではトラには見えなかったけどなあ。こんど行く人はじっくり見て結論を出してください。(無責任な!)

他にも「虱を取ってあげているところ」など「名場面」がレリーフに表現されている。今回は崩れたスケッチのためちゃんと観たいという欲求が残ったと思う。まずは想像をたくましくして、実物がどうなのか頭で描いてみてください。そしてガイドブックを見て正確な図像を楽しんでください。これは単なる「引き金」と考えていますので。

2006年3月23日 (木)

アンコールその6:村の生活

アンコール観光の拠点シェムリアップの街から北東に50km程度のところにクーレン山がある。この山中の渓流沿いにひっそりとたたずんでいるのが「クバール・スピヤン」遺跡だ。この地域はポル・ポト派の居住地区に隣接しており、かつ地雷撤去が完了していないので大変危険だ。この遺跡を見学するために、ドライバーと現地人ガイド付きで10人乗りのバンに乗り込み、砂利道を時速4050km程度で走行した。約1時間の行程だ。時おり乾いた赤土の砂埃を舞い上がらせながら車は進んだ。遺跡についてはいずれ報告したいが、今回はその道中に観察した民家の様子をレポートしたい。

<家屋>

郊外の村は地区により住居と生活環境が微妙に違っているのが興味深かった。殆どの家屋が草ぶきの屋根で高床式だ。湿気や虫などを防ぐためだろう。時折この地域にしては立派な住居が見られた。土地の富豪であろうか。そのような富裕階層の家屋は同じ木材を建材として使っていても、日本などで一般に見られるような建物のつくりだった。さらに先に行くと、ある地域では焼き煉瓦(れんが)を量産している関係で少し豊かそうな家庭は煉瓦積みの家を建てていた。

<広告板>

面白かったのは、壁面にコーラやたばこの広告板が打ちつけられていたことだ。そのような家庭は業者から広告料をせしめているのだろうか。またこのあたりは貧しいので、清涼飲料水などはあまり買えないだろうから、これらの広告は誰を対象にしたのだろう?我々のような観光客だろうか?その辺の疑問を残し、車は進んだ。

<電気なし>

あたりには電柱がない。従って、当然電線もない。つまり電化されてないのだ。最近テレビのコマーシャルで「オール電化の家」などと言っているが、その逆である。煮炊きには薪を燃やしている。ある民家の庭先で婦人が大きな鉄鍋で料理していた。その下では沢山の薪が燃えていた。そういえば庭先に薪の束を積んでいた地域があった。なおごく一部の家には庭に発電機らしき大きな機械が置かれていた。自家発電するのだろうか?しかし家屋を見ると、さほど金持ちそうには見えなかった。不思議だ。

<家畜>

殆どの家で家畜を飼っていた。繋がれている動物はまず見られず、放し飼いである。ある広い草原には牛が数頭のんびりと座って日光を浴び、ゆうゆうと草をはんでいた。その先の村では女の子が牛の手綱を持って引いていた。どこかへ売るのだろうか。牛の他には番犬として犬がよく飼われているようだ。そういえばカンボジアの犬は痩せている。特に顔が細い。あまり栄養状態が良いとは言えないが、まあ元気そうに活動しているから安心した。なお猫はほとんど見られない。道中一度だけツアー仲間が猫を見つけて歓声をあげていたっけ。猫は本当に少ないのか、それとも牛や犬と違って物陰に隠れているので見えないのか、そのあたりは謎である。

<道路>

我々のバンが通った道が道路のすべてである。畑に行くのも、子供が学校に行くのも、隣村へ行くのも、みなこの一本道を通る。そのためバンを飛ばしていると時々危険を感じることがある。家畜が単独で道路を歩いていることがあるのだ。どこへ遊びに行くんだろう。一応、道の端を歩いているのだが、なにせ体が大きいからぶつかるような感じがするんだ。ドライバーは慣れているらしく平気で飛ばしていたが、私はかなり冷や汗をかいた。なおカンボジアの運転手はよくクラクションを鳴らすのでうるさい。まあ危険防止を心がけていると前向きに解釈しよう。

<生活の糧>

どうも不思議に思ったのは、田畑が多くあっても大規模な集荷場所が見られず、また作物を積んだトラックも殆ど見られなかったことだ。これだけのことから推測するのは乱暴だが、どうもこの辺の農家は自給自足の部分が大きいようだ。そして通貨はどうやって得ているかと言うと、観光客への土産物販売だと思うのだ。それには子供たちが大きな役割を演じている。

以上の観察から村の農家の生活パターンを想定してみると、父親は田畑に行って自分達の食材を得るとともに、作物の一部を市場に出して若干の収入を得る。母親は田畑を手伝ったり家事をしたりする。子供たちは少し経済的に余裕があれば半日学校に行き、下校したら土産物を売り家計のたしにする。そして、書きにくいことだが、貧しいと子供たちは学校へ行けず土産物を売るのである。ちょっと悲しくなってきた。以上は私の推測で描写してみただけなので、実態とは異なる部分があると思う。だけど実際に目で見た限りでは、以上のように見えてしまうのだ。

というわけで独断と偏見に満ちたレポートは終わるけど、このままで終わらせたくない。他の人から情報を得て、私が誤った内容があれば訂正してゆきたい。それを続ければ、かなり真実に近い姿を得ることができるだろう。

2006年3月20日 (月)

アンコールその5:タ・プローム

Taprohm 今回は映画「トゥームレイダー」のロケ地「タ・プローム」だ。写真の通り巨大なスポアン(榕樹)が怪物のように建造物に覆いかぶさり威圧している。ここは日本人観光客に人気があると言う。そりゃあそうだろう。この迫力には負ける。

ところが、あまり調子に乗ってばかりはいられないんだ。「トゥームレイダー」は遺跡を容赦なく破壊する場面があり、史跡保全の立場からするとあまり良い評価は得ていないそうだ。そして日本人観光客としての自分自身を振り返ってみると、この遺跡を破壊する巨木に感動し喜んで見物するというのは、地元の人からは「トゥームレイダー」の破壊者と同類と見られているかもしれないんだ。もしそう思われていたとしたら、反論できない。しかしこの奇観の魅力にはどうしても負けてしまう。そんな自分が悔しいが、仕方がないじゃないか。開き直って、もっと素直に自分の気持を出そうかな。よし、そうしよう。「タ・プローム、すごーい!」ああすっきりした。

あまり屈折するのは健康に良くないよね。でもこういう「両面を見る」という考え方が多少なりともできるようになったのは、今回の旅行の大きな成果でもあるんだ。だから大事にしたい。その上でバランスを取って素直な感動は、またそれで大切にしたいんだ。

アンコール建造物を建てた昔のカンボジア人は、まさかこのように樹木が遺跡を侵食するという事態を想定していなかっただろう。だから創作者の立場からすると、自分たちの作品が自然の猛威によって損なわれるということになる。しかし、この植物と建築物の格闘場面を一種のオブジェとして観た場合、これはまた芸術的価値が高いと思う。

創作者の意図にないところで、別種の魅力付けがなされてしまったわけだ。すると、次に考えなければならないのは、この状態を善とするか悪とするかだ。遺跡保全の立場からすると「悪」だろうから、補修グループがスポアン(榕樹)を切り倒し遺跡の修復に努めている。しかしこれを「善」と解釈したなら、この景観はそのまま残し、これ以上侵食が進まないような方策を採るだろう。これは難しい問題だ。赤瀬川大先生はどう思われますか???

2006年3月19日 (日)

アンコールその4:子供たち

アンコール遺跡の周辺には多くの子供たちが熱心に土産物を売っていた。日本人と見るや、片言の日本語で「安いよ安いよ」、「たった1ドル」などと言いながらまとわりついてくる。1つでも買おうものなら周囲から子供たちがワァーっと押し寄せて来て、取り囲まれてしまう。小学校の高学年から中学生あたりの子が中心のようだったが、下の兄弟姉妹も一緒に行動し、一部の子供たちは見よう見まねで売り込みの真似事をしていた。ああやってノウハウが伝授されていくのかと思った。

一方、今回のツアーでは小学校を見学する機会があった。男の子も女の子も制服で、赤土の泥が付着しても気にせず校庭をころげ回って遊んでいる。子供たちの目は幸せそうに輝いている。一緒に旅行に行った娘は「カーワイー!」と叫んでいた。カンボジアは旧フランス領だが、学校では英語と日本語が主流のようであった。ちゃんと「英語クラス」、「日本語クラス」があり、専用の教室まであるのには驚いた。観光客相手のビジネスでは英語と日本語が重宝がられるのだろう。

ここで疑問が沸いてきた。土産物を売っている子供たちを見たのは平日の昼間だ。学校が開校している時間だから、あの子たちは学校に行っていないのだろうか、と。ツアーガイド(日本語が達者なカンボジア人)に聞いたら、午前だけの学校と午後だけの学校があるとのこと。なるほど、それで疑問が氷解した。小さな子供たちは学校以外の時間では必死に土産物を売り家計を助けているのだろう。

こんどは別の疑問だ。学校で英語や日本語を学んだ子供たちは、実家の農業を手伝いことを除けば、観光客相手のビジネスに従事する割合が多いのか?ある情報筋から聞いたのだが、カンボジアではツアーガイドの年収は医者を上回るとか。職業に貴賎はないのであくまで一般論だが、日本などでは、医者のほうが観光ビジネス従事者より社会的地位が高いし収入もずっと上だと思われている。カンボジアではこの「日本の」常識がくつがえされているわけだ。すると子供たちは、ツアーガイドになれば金持になり国民みんなから尊敬されるから、一生懸命日本語を勉強しよう・・・という意識を持って学校に来ているのだろうか。

この国はこれでいいんだろうか。日本のカンボジアに対するODA10年前は15千万ドルに達していた。150億円以上だ。5年前はだいぶ減ったが、それでも5千万ドル(50億円以上)に達していた。今回のツアーで見学した学校も日本のODAで建てたそうだ。でもこのODA投資で建てられた学校で日本語を学んだ子供たちが、放課後には日本人観光客に土産を売り、成長したら旅行会社に勤め、また日本人観光客からせっせとドルを稼ぐという循環は、どこかおかしいと思う

これに対して草の根的に進められた井戸堀りのプロジェクトは有益だと思った。実は見学したその学校にも1つ日本人の指導により掘られた井戸があったのだ。井戸の採掘技術を教え、生活に必要な水を得て、コミュニケーションの場としても活用でき、その後自分たちで別の井戸を掘ることができる・・・という「良」循環が形成される。こういう形の支援のほうがいいと思うんだがなあ。ただ学校も読み書きを学ばせるうえで重要だから、短絡的に批判するのは良くないとは思う。

ここで話を強引にアートに転じるけど、アンコール遺跡などを見ていると、中世カンボジアは「アート先進国」だったとつくづく感じる。タイなどとの戦争のため止む無く放棄した遺跡群は崩壊寸前だったが、当時のカンボジア人の優れたアート感覚を残してくれている。子供たちがそのことを誇りに思い、単に土産物を売るんじゃなく、その「能力」を外の世界に売り込むようにならないかと願う。旧フランス領のためフランス絵画などの影響があってもいいじゃないか。

自分たちが本当に美しいと感じたものを生み出してゆけば、それは自然と先祖のアート感覚と外来のアートの良いところを融合したものになる。純粋なカンボジア産アートでないからと疎んじる必要はないと思う。日本だって西洋絵画の影響を色濃く受けながらも模索を続けて駒井哲郎など独自の感覚が生まれたじゃないか。カンボジアの子供たちの中から優れたアーティストが育つための環境づくりを日本は支援できないか、と思った。今回はちょっとシリアスになっちゃったな。

2006年3月18日 (土)

友人の入院

友人が急性膵炎(すいえん)になり緊急入院。昨晩中野まで見舞いにいった。芥川賞受賞作の載っている文芸雑誌とブログ入門書をお見舞い代わりに差し出す。喜んでもらって嬉しかった。点滴をしているのでベッドを離れるに際にはキャスター付きの用具を引きずって歩かなけれならない。難儀そうだなあ。

実は彼の入院前日、一緒にしたたか飲んでいたので加害者は私かと思い気分が重くなっていたのだ。しかし彼の同僚によると、仕事に一区切りついたので気が抜けて疲れが一気に出て体のバランスを崩したのだろうとのコメントを得た。優しいな。おかげで罪の重荷がずいぶん軽くなった。いずれにしても健康のありがたさを実感した。

今日(土曜日)は「半世紀弦楽四重奏団」の練習でみなとみらいホールの練習室へ。最初は指慣らしにボロディンの弦楽四重奏曲第一番(有名ではない方)を試奏。第二ヴァイオリンの友人がパート譜を持ってきたのだ。これが指慣らしか?と少々疑問に感じたが、うるさいことは言わず我慢した。

そして先日相談して決めた我々なりの課題曲、べートーヴェン作曲・弦楽四重奏曲第9番(ラズモフスキー第3番ハ長調)に取り掛かる。曲想は平明だが細かいところで指が回らず難しい。練習後の飲み会(日本海)で技術的なこととかコンサート本番で他に何を弾こうかなどについて真剣に議論した。その合間にアンコール・ワット旅行のお土産を配って若干の写真を披露した。レポートはまだ残っているが、一応これで一区切りついた。

2006年3月16日 (木)

アンコールその3:アンコールワット

Angkorwat旅行写真の取り込みの練習を続けている。こんどはアンコール・ワットの寺院だ。下に見える人物と比較すると、いかに巨大かわかるでしょ?この紙を幾重にも折りたたんだような形態が複雑で面白い。設計者は非常に優秀だったのではないか。崩落している部分が多いとはいえ、優美さを保ちつつ立派にそびえ立っている。当時の栄華をしのばせる建造物だ。

2006年3月15日 (水)

アンコールその2:四面仏

Shimenbutsuアンコール・トムの四面仏の写真を練習のためアップしてみた。画像があまり鮮明ではないのはデジカメではなく○○チョン(放送禁止用語)で撮ったプリントをスキャナで取り込むという、前近代的なことをやっているからだよ。

でも人間と比べていかに巨大かわかるよね。一生に一度見ておきたかった四面仏を間近に見ることができて本当に良かった。アルカイック・スマイルと呼んでいいかどうかわからないけど、不思議な微笑をたたえている。巨大だけど威圧感が無い。優しくて頼れる仏様だ。

2006年3月13日 (月)

アンコールその1:プリア・カン

さあカンボジア旅行の報告だ。帰国してから筆が進まなかったが、今日Yannさんから励ましの言葉をもらって急に考えが収束に向かったんだ。ようしジョヴァンニ式報告レポートを書くぞー!

というわけでその1を始めるが、最も印象に残ったのはアンコール・トムの北側にある「プリア・カン」だ。少々天邪鬼な趣味と言われそうだが、私はその塀(へい)を内側から見て感激した。長方形を少しいびつにした台形のような石が上下左右に整然と積まれて塀ができているが、それが抽象絵画のように美しく目に映えたのだ。一つ一つの石は大きさ、形、色彩、質感が微妙に異なり強い個性を持っている。その石が多数並べられると、個性の集合体としての塀全体が調和を保ち、なおかつ心地よいリズムを内包している。

だいぶ前にこれと似たものを見たことがある。ハリウッドの中心で、有名人の足型を付けたタイルがはめ込まれた舗道だ。この舗道を上から見ると、似た感じになる。もっともプリア・カンの塀の石には足型がないが。そして極めつけはその塀を建造物の通路を通して見ると、建造物が額縁の役割を果たしてあたかも美術館で抽象絵画を鑑賞しているかのような錯覚にとらわれるのだ。プリア・カン最高!

そしてこの寺院はユニークだ。アンコール遺跡群のなかで唯一、二階建ての建物がある。しかし上へ上る階段が無い。え、なぜ? 古代人は翼を持っていたのか、というのは何かの読みすぎで、現地人ガイドによるとたぶん昔は木でできた階段があって風化したのだろうということだ。なあんだ、つまらないなあ。整然と並んだ円柱に支えられたこの建物は昔訪ねたギリシャのパルテノン神殿を想起させる。規模はパルテノン神殿の方がずっと大きいが、数学的・人工的すぎてどこかよそよそしい。

それに比べて、このプリア・カンの二階建て建造物は堅牢さと優美さを併せもっており、それがたまらない魅力となっている。幾何学模様と動植物を描いたレリーフの配分が適度で、プラトン的・ディオニソス的な性格がほどよく溶け合っているとでも言えようか。


溶け合うで思い出したが、もう一つの特色は異なる宗派の結合という側面だ。プリア・カンを建立したジャヤヴァルマン七世はヒンドゥー教の祭礼と仏教勤行との融和を図ったそうだ。ただでさえいがみ合っている宗派を強引に一緒にするのだから、ずいぶん勇気がいる執政だったろう。

これはレリーフに反映されている。上には仏教代表の仏陀、下にはヒンドゥー教代表の架空動物「ガルーダ」が縦に並べられているという具合だ。幻想芸術を愛する私としては、聖なる鳥「ガルーダ」が9つの頭部を有する毒蛇神「ナーガ」を踏みつけている彫り物を見ることができて嬉しかった。すごい迫力だよ。

というわけでレポート第一弾はこれで終わり。次は何を書こうかな。昨日テレビで「トゥームレイダー」を観たから、次回はそのロケ地「タ・プローム」にしようかな。

2006年3月12日 (日)

宇治山哲平展

__28 「行きたい展覧会」の一つ「宇治山哲平展」(東京都庭園美術館)に行った。期待通り素晴らしい展覧会だった。「今年の私的良かった展覧会」に文句なしにランクインだ。先日観た「堂本尚郎展」とトップを争うな。このような明るい抽象画は元気の素になる気がする。この半券に刷られた作品は「」だが、抽象画でありながら画面いっぱい楽しさで満ちている。展示作品のほとんどすべてがこのような遊び心と楽しさにあふれ、気分よく観賞できた。

_2 二対・三対の屏風絵のような連作は、同じ図象パターンが少しずつ配置を変えて一種のヴァリエーションのようになっているのが面白かった。例えば「やまとごころ」2作(図)はそれぞれ1985年と翌年に描かれたものだが、こうして並べてみると共通の部品の組合わせを少しずつ変えて構成してゆく感じがよくわかる。またこの「やまとごころ」2作をはじめ、「あをによし」、「王朝」などテーマが和風の作品は地肌の色が白か薄いグレーで他作品との差異がみられた。そう言えば宇治山哲平は地肌にこだわり、絵の具に水晶を混ぜて輝きをもたせたそうだ。

__29 一方、「」(図)の下部に見られるように、時おり描かれる三本の平行線は五線紙のイメージを持ち、画面を引き締め、音楽的ともいえる構成感を高めるのに一役買っていた。他の作品でも同じだったが、この三本線の隣には円形の模様が配置されることが多いようだった。それが緊張感を緩和し、画面に優しさと楽しさをもたらしているのかもしれない。

若い頃のキュビズム風の作品も面白かった。「弘二仏」は萬鉄五郎の「もたれて立つ人」を

彷彿させるものがある。両者の交流はあったのだろうか?また「樹No.12」には先日観た「アジアのキュビズム展」で知った「透明キュビズム」を想起させられた。キュビズムではないが同じ頃の作品「石の華」はどこかで見たような記憶があるが、定かではない。幼少期の作品も展示されていたが、「戦争図」などはまるで大人の筆致だ。天才少年だったんだなあ。

せっかくの「庭園美術館」だから帰りに庭園を散策した。広場では好きな抽象彫刻2つにまず挨拶(安田侃「風」と菅原次郎「Inside Out CBG-2」)。そして茶室に向かう。巨大なクロマツが威圧的だ。何の木か、枝が多様に分岐し平面を形成している。その下に梅の花が散ってゆき池の水面に広がる。その下には見事な鯉が悠々と泳いでいる。このような「多層の美」(いい表現でしょ?)はなかなか得られるものではない。いいな、この庭園は。

2006年3月11日 (土)

長谷川潔展

Photo_26 アンコール・ワット見学の報告を書こう書こうと思っていたが考えがまとまらず、いつの間にか1週間が経過してしまった。今日の午前中はピアノトリオの練習で横浜みなとみらいホール練習室にいた。終わったあと「SOUP BAR」で昼食。メインディッシュは上品な盛りだったがデザートはたっぷりで、女性に人気が出そうな店だなと納得。

エネルギーを得たので展覧会に行ってしまった。横浜美術館の「銅版画家 長谷川潔展 作品のひみつ」だ。「序盤に隙あり」らしく手順前後になるが、アンコール・ワットのことは後回しにして展覧会のことを先に書くことにした。

メゾチントの作品といえば、私は駒井哲郎が大好きで、長谷川潔には関心がなかったので最初はこの展覧会はパスしようかと思っていたんだ。でもやはり気になって来てみたら、田清輝、藤島武二に師事し、山田耕筰や気鋭の文学青年達と交流し、渡仏してからメゾチントを新しい表現で復活させ、フランスから文化勲章、日本からも勲三等瑞宝章を受章し、一度も帰国せず90才近くまでパリで生きた・・・という堂々たる経歴で驚いた。

初期の作品から始まり、アーティストとしての成長の過程がわかるように企画されていたのは良かった。若い頃の木版画も味わい深いが、やはり後期のメゾチントが渋く深みを感じさせていいな。闇の中に浮かび上がる動植物・静物の一つ一つに暗喩があるようで、その解釈を考え始めるときりがなさそうだ。なるほど、素晴らしい作品群だ。

会場ではスタンプラリーをやっていた。プレゼントがもらえるという言葉に引かれてやってみたら、一度も行ったことがない「美術情報センター」がコースに組み込まれていた。中を見たら専門図書館のように充実していたので驚きだった。美術全集、美術事典、画集など個人では買えない高価な本が並んでいる。これならあるテーマで真剣に執筆するような時に役立ちそうだな。スタンプラリーもなかなか有意義なものだなと妙に感心した次第。絵はがきを若干購入して帰宅。

2006年3月 6日 (月)

アンコールその0 イントロ

「リフレッシュ休暇」なる制度を利用して家族と1週間弱アンコール・ワット探訪旅行に行ってきた。すごかった。本来ならブログの格好の題材になるはずなんだが、なぜか筆が進まない。あまりにもすごかったので、頭の中が整理できないのだ。それで子供みたいに、やたら「すごい、すごい」を連発するだけで、気のきいた言葉を発することができないでいるのだ。

しかし、こんなに貴重な体験をしたのだから、得たものをぜひ周りの人に伝えたい。時間がかかると思うけど、考えがまとまり、原稿が書けた話から順不動に公開してゆこうと思う。一般的な旅行記に関しては充実した内容のものがWeb上に沢山アップされているから、ジョヴァンニ的な内容を心がけたいな。うーん今日はここまでしか書けないな。

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